学説である。しかのみならず、行為の善悪は理由の説明を許さぬというのは、道徳の威厳を保つ上において頗《すこぶ》る有効である。
 直覚説は簡単であって実践上有効なるにも拘らず、これを倫理学説として如何ほどの価値があるであろうか。直覚説において直覚的に明であるというのは、人性の究竟《くっきょう》的目的という如きものではなくて、行為の法則である。勿論直覚説の中にも、凡《すべ》ての行為の善悪が個々の場合において直覚的に明であるというのと、個々の道徳的判断を総括する根本的道徳法が直覚的に明瞭であるというのと二つあるが、いずれにしても或直接自明なる行為の法則があるというのが直覚説の生命である。しかし我々が日常行為について下す所の道徳的判断、即ちいわゆる良心の命令という如き者の中に、果して直覚論者のいう如き直接自明で、従って正確で矛盾のない道徳法なる者を見出しうるであろうか。先ず個々の場合について見るに、決してかくの如き明確なる判断のないことは明である。我々は個々の場合において善悪の判断に迷うこともあり、今は是《ぜ》と考えることも後には非と考えることもあり、また同一の場合でも、人に由りて大に善悪の判断
前へ 次へ
全260ページ中155ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
西田 幾多郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング