。我々の欲望或は要求は啻《ただ》にかくの如き説明オうべからざる直接経験の事実であるのみならず、かえって我々がこれに由って実在の真意を理解する秘鑰《ひやく》である。実在の完全なる説明は、単に如何にして存在するかの説明のみではなく何の為に存在するかを説明せねばならぬ。
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第五章 倫理学の諸説 その一
已《すで》に価値的研究とは如何なる者なるかを論じたので、これより善とは如何なるものであるかの問題に移ることとしよう。我々は上にいったように我々の行為について価値的判断を下す、この価値的判断の標準は那辺《なへん》にあるか、如何なる行為が善であって、如何なる行為が悪であるか、これらの倫理学的問題を論じようと思うのである。かかる倫理学の問題は我々に取りて最も大切なる問題である。いかなる人もこの問題を疎外することはできぬ。東洋においてもまた西洋においても、倫理学は最も古き学問の一であって、従って古来倫理学に種々の学説があるから、今先ずこの学における主なる学派の大綱をあげかつこれに批評を加えて、余が執らんとする倫理学説の立脚地を明かにしようと思う。
古来の倫理学説を大別すると
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