って意志と根本を一つにし作用を同じうすると見る科学者のいう所と一致するのであるが、しかしその根本とする所の者は全く正反対である。彼は物質力を以て本となし、これは意志を以て本とするのである。
この考に由れば、前に行為を分析して意志と動作の二としたのであるが、この二者の関係は原因と結果との関係ではなく、むしろ同一物の両面である。動作は意志の表現である。外より動作と見らるる者が内より見て意志であるのである。
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第三章 意 志 の 自 由
意志は心理的にいえば意識の一現象たるに過ぎないが、その本体においては実在の根本であることを論じた。今この意志が如何なる意味において自由の活動であるかを論じて見よう。意志が自由であるか、はたまた必然であるかは久しき以来学者の頭を悩ました問題である。この議論は道徳上大切であるのみならず、これに由りて意志の哲学的性質をも明《あきらか》にすることができるのである。
先ず我々が普通に信ずる所に由って見れば、誰も自分の意志が自由であると考えぬ者はない。自分が自分の意識について経験する所では、或範囲において或事を為すこともできればまた為さぬこ
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