の根柢が直《ただち》に神である、主観客観の区別を没し、精神と自然とを合一した者が神である。
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 いずれの時代でも、いずれの人民でも、神という語をもたない者はない。しかし知識の程度および要求の差異に由って種々の意義に解せられている。いわゆる宗教家の多くは神は宇宙の外に立ちて而《しか》もこの宇宙を支配する偉大なる人間の如き者と考えている。しかし此《かく》の如き神の考は甚だ幼稚であって、啻《ただ》に今日の学問知識と衝突するばかりでなく、宗教上においても此の如き神と我々人間とは内心における親密なる一致を得ることはできぬと考える。しかし今日の極端なる科学者のように、物体が唯一の実在であって物力が宇宙の根本であると考えることもできぬ。上にいったように、実在の根柢には精神的原理があって、この原理が即ち神である。印度《インド》宗教の根本義であるようにアートマンとブラハマン[#「ハ」は小書き]とは同一である。神は宇宙の大精神である。
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 古来神の存在を証明するに種々の議論がある。或者はこの世界は無より始まることはできぬ、何者かこの世界を作った者がなければなら
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