の統一作用なる者は単に抽象的観念であって、直接経験の事実ではないように思われるかも知れない。しかし我々の直接経験の事実は観念や感情ではなくて意志活動である、この統一作用は直接経験に欠くべからざる要素である。
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これまでは精神を自然と対立せしめて考えてきたのであるが、これより精神と自然との関係について少しく考えて見よう。我々の精神は実在の統一作用として、自然に対して特別の実在であるかのように考えられているが、その実は統一せられる者を離れて統一作用があるのでなく、客観的自然を離れて主観的精神はないのである。我々が物を知るということは、自己が物と一致するというにすぎない。花を見た時は即ち自己が花となっているのである。花を研究してその本性を明にするというは、自己の主観的臆断をすてて、花|其物《そのもの》の本性に一致するの意である。理を考えるという場合にても、理は決して我々の主観的空想ではない、理は万人に共通なるのみならず、また実に客観的実在がこれに由りて成立する原理である。動かすべからざる真理は、常に我々の主観的自己を没し客観的となるに由って得らるるのである。これを要
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