の本体が存在するというのは、我々の意識がいつでも或一定の結合に由って現ずるということで、ここに不変の本体というのはこの統一力をさすのである。
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かくいえば真正の主観が実在の本体であると言わねばならぬ事になる、然るに我々は通常かえって物体は客観にあると考えている。しかしこれは真正の主観を考えないで抽象的主観を考えるに由るのである。此の如き主観は無力なる概念であって、これに対しては物の本体はかえって客観に属するといった方が至当である。しかし真正にいえば主観を離れた客観とはまた抽象的概念であって、無力である。真に活動せる物の本体というのは、実在成立の根本的作用である統一力であって、即ち真正の主観でなければならぬ。
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第八章 自 然
実在はただ一つあるのみであって、その見方の異なるに由りて種々の形を呈するのである。自然といえば全然我々の主観より独立した客観的実在であると考えられている、しかし厳密に言えば、斯《かく》の如き自然は抽象的概念であって決して真の実在ではない。自然の本体はやはり未だ主客の分れざる直接経験の事実
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