の実在には精神があるといってよい、前にいったように自然においても統一的自己がある、これが即ち我々の精神と同一なる統一力である。たとえばここに一本の樹という意識現象が現われたとすれば、普通にはこれを客観的実在として自然力に由りて成立する者と考えるのであるが、意識現象の一体系をなせる者と見れば、意識の統一作用によりて成立するのである。しかしいわゆる無心物においては、この統一的自己が未だ直接経験の事実として現実に現われていない。樹|其者《そのもの》は自己の統一作用を自覚していない、その統一的自己は他の意識の中にあって樹其者の中にはない、即ち単に外面より統一せられた者で、未だ内面的に統一せる者ではない。この故に未だ独立自全の実在とはいわれぬ。動物ではこれに反し、内面的統一即ち自己なる者が現実に現われている、動物の種々なる現象(たとえばその形態動作)は皆この内面的統一の発表と見ることができる。実在は凡て統一に由って成立するが、精神においてその統一が明瞭なる事実として現われるのである。実在は精神において始めて完全なる実在となるのである、即ち独立自全の実在となるのである。
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いわゆる精神なき者にあっては、その統一は外より与えられたので、自己の内面的統一でない。それ故に見る人によりてその統一を変ずることができる。たとえば普通には樹という統一せられたる一実在があると思うているが、化学者の眼から見れば一の有機的化合物であって、元素の集合にすぎない、別に樹という実在は無いともいいうる。しかし動物の精神はかく看《み》ることができぬ、動物の肉体は植物と同じく化合物と看ることもできるであろうが、精神其者は見る人の随意にこれを変ずることはできない、これをいかに解釈するにしても、とにかく事実上動かすべからざる一の統一を現わしているのである。
今日の進化論において無機物、植物、動物、人間というように進化するというのは、実在が漸々その隠れたる本質を現実として現わし来《きた》るのであるということができる。精神の発展において始めて実在成立の根本的性質が現われてくるのである。ライプニッツのいったように発展 evolution は内展 involution である。
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精神の統一者である我々の自己なる者は元来実在の統一作用である。一派の心理学では我々の自己は
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