ゥ己自身を形成するのが、具体的論理である。かかる意味において、芸術も具体的論理的である。私は人間の歴史的形成の立場から芸術を見るのであって、後者から前者を見るのではない。

     四

 直観的に与えられたものが、論理的に我々を動かすというのは、普通の考に反することであろう。私のいう所があるいは無理押しと考えられるかも知れない。しかし直観とか所与とかについて、従来の考え方は知的自己の立場からであって、具体的な歴史的・社会的自己の立場からではない、即ち行為的・制作的自己の立場からではない。判断論理の立場からは、与えられたものといえば非合理的と考えられ、直観といえば論理を拒否すると考えられるでもあろう。しかし具体的人間としては、我々は制作的・行為的として歴史的・社会的世界に生れ来るのであり、何処まで行ってもかかる立場を脱するものではない。与えられるものは歴史的・社会的に与えられるのであり、直観的に見られるものは行為的・制作的に見られるのであり、表現的に我々を動かすものである。矛盾的自己同一的現在の世界において与えられたものとして、我々の個人的自己に迫るものでなければならない。社会という
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