オか》いうことができる。而して斯《か》くなればなるほど、逆に我々は自己矛盾的に世界と一つになるということができる。かかる立場において、世界が意識面的であり、我々の自己が意識作用的であると考えられる時、世界が一つの論理的一般者と考えられる。かかる個物的自己として行為的直観的に物を把握するのが、我々の判断作用というものである。現在において、我々が何処までも個人的自己として、個人的自己の尖端《せんたん》において行為的直観的に物を把握する所に、客観的実在の判断的知識が成立するのである。現在においての個人的自己とは何を意味するか。過去と未来とが何処までも矛盾的に合一する矛盾的自己同一的現在の世界においての個物としてということを意味するのである。いわば絶対現在としての歴史的空間の個物ということである。かかる個物的自己として行為的直観的に即ちポイエシス的に物を把握するということは、物を絶対現在としての歴史的空間において見ることであり、過去未来を包んだ現在においての物の法則を明《あきらか》にすることである、私のいわゆる世界の生産様式を把握することである。そこに客観的認識の世界があるのである。
 行為的
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