な形成力でなければならない。作られたものから作るものへということは、作られたものは、種から作られたものでありながら、作るものを作るとしてイデヤ的である、世界的であるということである、種の形成が歴史的生産様式的であるということである。矛盾的自己同一的に何処までもかかる方向に進むことが歴史的発展の方向にほかならない。

 動物の本能的動作においても、既に爾《しか》考えられる如く、我々の行為は我々が自己矛盾的に世界を映すということから起る、即ち歴史的身体的であるということから起る。而してそれは我々の行為は社会的に起るということである。私と汝との人格的対立も、社会的発展から出て来るのである。子供の自己意識は、社会的関係から発展するものでなければならない。社会というものが、矛盾的自己同一的現在の自己形成として成立するものなるが故である。生物的生命には、矛盾的自己同一的形成として生物的身体即ちいわゆる身体というものがある如く、歴史的生命には行為的直観的に歴史的身体即ち社会というものがあるのである。行為的直観というのは、矛盾的自己同一として自己自身を形成する世界を、かかる世界の個物として我々が生産
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