ty[『原始社会における性と抑圧』])。エディプス複合の如きものが、既に人間の家族というものが社会的であって動物のそれと異なることを示すものであろう。本能というのは、有機的構造に基いた、或種に通じての行動の型である。動物の共同作業というものも、本能の内的応化によって支配せられているのである。それは人間の社会的構造とは異なったものである。人間の社会的構造には、それが如何に原始的なものであっても、個人というものが入っていなければならない。何処までも集団的ではあるが、個人が非集団的にも働くということが含まれていなければならない。故に動物の本能的集団というものは与えられたものたるに反し、人間の社会というのは作られて作り行くものでなければならない。多くの人が原始社会を唯団体的と考えるのに反し、私はマリノースキイなどの如く始《はじめ》から個人というものを含んでいるという考に同意したいと思うのである。原始社会にも罪というものがあるのである(Malinowski, Crime and Custom in Savage Society[『原始社会における犯罪と慣習』])。それは社会というものが動物の本能
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