的に与えられたものである。我々は無手でこの世界に生れて来たのではない、我々は身体を有って生れて来たのである。身体を有って生れて来るということそのことが、既に歴史的自然によってそこに一つの課題が解かれたといい得ると共に(例えば昆虫《こんちゅう》の眼ができたという如く)、矛盾的自己同一として無限の課題が含まれているのである。我々が身体を有って生れるということは、我々は無限の課題を負うて生れることである。我々の行為的自己に対して真に直接に与えられたものというのは、厳粛なる課題として客観的に我々に臨んで来るものでなければならない。現実とは我々を包み、我々を圧し来るものでなければならない。単に質料的のものでもなければ、媒介的のものでもない。我々の自己に対して、汝《なんじ》これを為《な》すか然らざれば死かと問うものでなければならない。世界が一つの矛盾的自己同一的現在として私に臨む所に、真に与えられたものがあるのである。真に与えられたもの、真の現実は見出されるものでなければならない。何処に現実の矛盾があるかを知る時、真に我々に対して与えられたものを知るのである。単に与えられたものというものは、抽象概
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