ら理解せられなければならない(行動心理学においてのように)。人間の本能は単にいわゆる身体的形成ではなくして、歴史的身体的即ち制作的でなければならない。人間の行為は表現作用的に世界を映すことから起るのである、制作的身体的に物を見ることから起るのである。行為的直観的に物を見るということは、制作的身体的に物を見ることである。
 我々は制作的身体的に物を見、斯《か》く物を見ることから働く制作的身体的自己においては、見るということと作るということとが矛盾的自己同一的である。物を制作的身体的に見るということは、物を生産様式的に把握することである、即ち具体概念的に把握することである。表現作用的自己として、矛盾的自己同一的現在の立場において物を把握するのである。それが真の具体的論理の立場であろう。そこに真なるものが実なるものである。抽象的知識とはかかる立場を離れたものとも考えられるであろう。しかしかかる実験の立場を離れて客観的知識というものはない。学問的知識の立場といえども、かかる立場を否定することではなく、かえってかかる立場に徹底し行くことでなければならない。矛盾は我々の行為的直観的なる所、制作的身
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