有であり、未来は未《いま》だ来らざるものでありながら既に現れているという矛盾的自己同一的現在(歴史的空間)において、物と物とが表現的作用的に相対し相働くのである。そこには因果的に過去からの必然として、また合目的的に未来からの必然として相対し相働くのではない。矛盾的自己同一的に、一つの現在として現在から現在へと動き行く世界、作られたものから作るものへと自己自身を形成し行く世界においてのみ、爾《しか》いうことができるのである。
 自己自身を形成し行く世界の形から形へということは、あるいは飛躍的とか無媒介的とか考えられるであろう。個物の働きというものがないとも考えられるであろう。しかし私の考はその逆である。個物とは何処までも自己自身を表現的に限定するものでなければならない、表現作用的に働くものでなければならない。世界の有つ形とは、かかる個物の相互否定的統一、矛盾的自己同一として現れるものでなければならない。それは逆に無数なる個物の表現作用が絶対矛盾的自己同一的世界の無数の仕方においての自己表現といわなければならない。再び我々の自己の意識統一によって考えて見よう。我々の意識現象とは、その一々が
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