いった如く、生物的生産様式では、なお真に過去と未来との矛盾的対立というものはない、真の歴史的現在というものはない。矛盾的自己同一として現在が現在自身を限定するとか、形が形自身を限定するとかいうことはない。従って生物的動作は行為的直観的ではない。ヘーゲル的にいえば、それはなおアン・ジヒの状態である。世界が一つの現在として、無限の過去と未来とが現在において対立する歴史的社会的生産様式においては、現在が矛盾的自己同一として、何処までも動き行くものでありながら、現在が現在自身の形を有し、現在が現在自身を限定するとか、形が形自身を限定するとかいうのである。現在というものを唯抽象的に考えれば、現在から現在へなどということは、飛躍的とか無媒介的とか考えられるかも知らぬが、弁証法においては、対立が即綜合、綜合が即対立ということであり、対立なくして綜合はないが、綜合なくして対立もない。綜合と対立とは何処までも二であって一でなければならない。而して実践的弁証法においては、綜合というのはいわゆる理性の要求という如きものではなく、現実の世界の有つ形、現実の世界の生産様式というものでなければならない。無限の過去
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