主体的に潜在的なるものが顕現的となるというのでもない。創造ということは、ベルグソンのいうように、単に一瞬の過去にも還ることのできない尖端的進行ということではない。無限なる過去と未来との矛盾的対立から、矛盾的自己同一的に物が出来るということでなければならない。直線的なるものが円環的なる所に、創造ということがあるのである、真の生産があるのである。
 歴史的世界においては、過去は単に過ぎ去ったものではない、プラトンのいう如く非有が有である。歴史的現在においては、何処までも過去と未来とが矛盾的に対立し、かかる矛盾的対立から矛盾的自己同一的に新な世界が生れる。これを私は歴史的生命の弁証法というのである。過去を決定せられたもの、与えられたものとしてテージスとすれば、それに対し無数の否定、無数の未来が成立する。しかし過去というものが矛盾的自己同一的に決定せられたものであり、過去を矛盾的自己同一的に決定したものが真の未来を決定する、即ちアンティテージスが成立する。世界が矛盾的自己同一として創造的であり、生きた世界であるかぎり、かかるアンティテージスが成立せなければならない。而してその矛盾的対立が深く大
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