ゥるということは、それを抽象化することでなければならない。具体的論理はその否定的契機として抽象的論理を含まねばならないが、抽象的論理の立場から具体的論理的に考えることはできない。絶対矛盾的自己同一的世界は何処までも自己自身の中に、自己同一を有つことはできない。それは作られたものから作るものへという歴史のイデヤ的形成の契機として、含まれるものでなければならない。我々の自己が歴史的制作的自己として実在を把握し行く所に、具体的論理というものがあるのである。そこに多と一との矛盾的自己同一として我々が含まれている世界が、自己自身を明にするといい得るであろう。我々の意識は自己矛盾的に世界の意識となるのである。故にそこに我々が実践によって実在を映すとか、物が物自身を証明するとかいうこともできる。知識は抽象的分析から始まるといっても、如何なる立場から如何にということは、作られたものから作るものへとして、自己が如何なる立場にあるかの自覚からでなければならない。知識は歴史的過程でなければならない。私は右の如き歴史的生命の自覚という如きものを弁証法的論理というのである。故に科学も弁証法的である。但《ただ》そ
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