子を失うたような場合に最も痛切に感ぜられるのである。ゲーテがその子を失った時“Over the dead”というて仕事を続けたというが、ゲーテにしてこの語をなした心の中には、固《もと》より仰ぐべき偉大なるものがあったでもあろう。しかし人間の仕事は人情ということを離れて外に目的があるのではない、学問も事業も究竟《くっきょう》の目的は人情のためにするのである。しかして人情といえば、たとい小なりとはいえ、親が子を思うより痛切なるものはなかろう。徒らに高く構えて人情自然の美を忘るる者はかえってその性情の卑しきを示すに過ぎない、「征馬不[#レ]前人不[#レ]語、金州城外立[#二]斜陽[#一]」の句ありていよいよ乃木将軍の人格が仰がれるのである。
 とにかく余は今度我子の果敢《はか》なき死ということによりて、多大の教訓を得た。名利《みょうり》を思うて煩悶絶間なき心の上に、一杓《いっしゃく》の冷水を浴びせかけられたような心持がして、一種の涼味を感ずると共に、心の奥より秋の日のような清く温き光が照して、凡《すべ》ての人の上に純潔なる愛を感ずることが出来た。特に深く我心を動かしたのは、今まで愛らしく話し
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