敵塁《てきるい》深く屍を委《まか》して、遺骨をも収め得ざりし有様、ここに再び旧時の悲哀を繰返して、断腸の思未だ全く消失《きえう》せないのに、また己《おの》が愛児の一人を失うようになった。骨肉の情いずれ疎《そ》なるはなけれども、特に親子の情は格別である、余はこの度《たび》生来未だかつて知らなかった沈痛な経験を得たのである。余はこの心より推して一々君の心を読むことが出来ると思う。君の亡くされたのは君の初子《はつご》であった、初子は親の愛を専らにするが世の常である。特に幼き女の子はたまらぬ位に可愛いとのことである。情|濃《こま》やかなる君にしてこの子を失われた時の感情はいかがであったろう。亡き我児の可愛いというのは何の理由もない、ただわけもなく可愛いのである、甘いものは甘い、辛いものは辛いというの外にない。これまでにして亡くしたのは惜しかろうといって、悔んでくれる人もある、しかしこういう意味で惜しいというのではない。女の子でよかったとか、外に子供もあるからなどといって、慰めてくれる人もある、しかしこういうことで慰められようもない。ドストエフスキーが愛児を失った時、また子供ができるだろうといっ
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