デカルト哲学について
西田幾多郎

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)デカルト哲学は棄《す》てられた。

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)自己|撞着《どうちゃく》である。

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#ローマ数字1、1−13−21]

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)証明 〔de'montrer〕 の仕方に
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
−−

        一

 カント哲学以来、デカルト哲学は棄《す》てられた。独断的、形而上学的と考えられた。哲学は批評的であり、認識論的でなければならないと考えられている。真の実在とは如何《いか》なるものかを究明して、そこからすべての問題を考えるという如きことは顧みられなくなった。今日、人は実践ということを出立点と考える。実践と離れた実在というものはない。単に考
次へ
全41ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
西田 幾多郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング