Bそれは徹底的な否定的分析でなければならない。彼は『省察録』の第二答弁において証明 〔de'montrer〕 の仕方に二通りあるという。一つは分析 〔analyse ou re'solution〕 であり、一つは綜合 〔synthe`se ou composition〕 である。分析とは、物が方法的に見出され、如何に果が因に因《よ》るかを見る方法である。読者はそれに従って、注意深く、含まれたる凡《すべ》てに目を注ぐならば、あたかも自分が見出した如く完全に証明せられ、理解せられる方法である。綜合というのは、これに反し定義、要請、公理等の過程によって結論を証明する、いわゆる幾何学的方法である。而《しか》して彼は彼の『省察録』において専《もっぱ》ら分析的方法を取ったという。何となれば、幾何学においては、その根本概念が感官的直観と一致するが故に、それは何人にも受入れられるが、形而上学的問題においては、最始の根本概念を明晰《めいせき》に判明に把握することが困難なのである。本来の性質からは、それは幾何学のものよりも、一層明晰なものなのであるが、我々が感官から得た、幼時から馴《なら》された、種々なる先
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