ナも映されたものから映すものへの方向において、過去から未来への方向において空間的であり、逆に映すものから映されたものへの方向において、未来から過去への方向において時間的であり、意識的である。神は一面に res extensa として空間的であり、一面に res cogitans として意識的である。斯くして二つの属性が考えられる。様相とは、絶対現在の自己限定として、自己自身を限定する形にほかならない。一面には何処までも空間的であり、一面には何処までも意識的である。ordo et connexio idearum idem est, ac ordo et connexio rerum(Prop. 7. p. 2.)ということができる。
 スピノザの原因というのは、すべてカウザ・スイの意義を有《も》ったものと考うべきであろう。本質が存在を含み、その本質が存在としてのみ理解せられるものをいうのである。絶対現在の自己限定としてあるものは、すべて表現するものが表現せられるものとして、かかる性質を有ったものでなければならない。事即理、理即事である。スピノザの十全なる知識とは、絶対の自己否定において
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