g教的実在即ち歴史的実在を把握したとも考え得るが、中世哲学は宗教哲学であった。実在そのものを問題としたのではない。実在の考え方はギリシヤ的なるものを出なかった。中世哲学の実在はキリスト的・ギリシヤ的であったということができる。中世的世界が行詰《ゆきづま》って近世科学の時代に入った時、自己表現的なる歴史的実在の世界は、自己自身に返って新なる哲学の出立点を求めた。中世において人格的に自覚した歴史的実在の世界は、更に自然的自覚を求めて来たともいい得る。我々の自己は、そこに深く自己自身の根柢に返って、新なる実在の把握を求めた。これがデカルト哲学の課題であった。デカルトの世界は近世科学の世界であった。しかしデカルト哲学には、デカルトからライプニッツに至るまでも、なお背後に中世哲学的なものがあった。神と自己との関係において、何処までも不徹底である。私はカント哲学に至って、純粋な科学の哲学に入ったと思う。カント哲学は科学的自己の自覚の哲学である。しかし単なる科学の世界は、自己自身によってあり自己自身を限定する真実在の世界ではない、真の具体的実在の世界ではない。最初にいった如く、カントはこの問題を打切ったに過ぎない。実践といっても、そこからでは形式的規範が考えられるだけである。カントの実践哲学は、近代社会における市民道徳の基礎附けである。私は決してカントの道徳的規範を無視するものではないが、今日の歴史的世界は新なる哲学の出立点と新なる実践原理とを求めるのである。我々はなお一度デカルトの出立点に返って考えて見なければならない。
二
哲学の問題は自己自身によってあり、自己自身を限定する真実在の問題であり、その方法は何処《どこ》までも徹底せる懐疑的自覚でなければならない、詳しくいえば絶対の否定的自覚、自覚的分析でなければならない。我々が真に生死を賭《と》し得る実践も、此《ここ》から出て来るのである。私はかかる意味において、デカルトの問題と方法とに同意を表するものである。哲学に入るものに、彼の『省察録』の熟読を勧めたい。しかし私は彼は遂《つい》にその目的と方法に徹底せなかったと考えるものである。彼はアリストテレス的論理を脱しなかった。実在を何処までも主語的なるもの、基本的なるものに求めた。そこから彼はいわゆる独断的形而上学に陥った。カントの排斥を受けねばならなかった所
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