アブセンス・オブ・マインド
西田幾多郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)自分で可笑《おか》しくなるのである。
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 多少のアブセンス・オブ・マインドというのは、誰にもあることである。あるのが普通といってよかろう。しかし私は可なり念入のアブセンス・オブ・マインドをやったことがある。今に思出しても、自分で可笑《おか》しくなるのである。
 それは私がまだ金沢の四高に教師をしていた頃のことである。或日同僚のドイツ人ユンケル氏から晩餐に招かれた。金沢では外国人は多く公園から小立野《こだつの》へ入る入口の処に住んでいる。外国人といっても僅の数に過ぎないが。私はその頃ちょうど小立野の下に住んでいた。夕方招かれた時刻の少し前に、家を出て、坂を上り、ユンケル氏の宅へ行ったのである。然るにどうしたことか、ユンケル氏の宅から少し隔った、今は名を忘れたが、何でもエスで始まった名の女の宣教師の宅へ入ってしまった。その女宣教師も知った人であり、一、二度も私の家に来たこともある人ではあったのだ。ベルを押し、請ぜられて応接間に入り、暫く待っていた。無論応接間の様子などユンケル氏のそ
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