のだよ」斯う聞いては実に極りが悪い、極りは悪いが併し嬉しい、彼の秀子が此の叔父の養女として永く此の家に、余と一緒に棲む事と為れば、其のうちに又何の様な好い風の吹くまい者でもない。
 叔父は猶説明して「己は直ぐにも披露し度いけれど、当人の望みに由り、愈々幽霊塔の修繕が出来上り己が引き移って転居祝いの宴会を開く時に、一緒に養女の披露をする。夫まで秀子は今まで通り此の土地の宿屋に居て日々此の家へ来る筈だ」余「何しに来ます」叔父「己の書き物などを手伝いに来るのサ実は朝倉家に居る間も手紙の代筆などを頼んで見たが流石『秘書官』の著者だけに、己が在官中に使って居た書記よりも筆蹟文章ともに旨い。是から日々此の家へ来て幽霊塔の修繕に就いての考案などを己と相談し其の傍ら己の書斎をも整理して呉れる筈だ、其の様な事柄には仲々面白い意見を持って居るよ、己は先ア娘兼帯の秘書官を得た様な者だ」と云い、更に思い出した様に「シタがお浦は何うした」と問うた。余はお浦が根西夫人と共に外国へ行った一部始終を告げ、且《かつ》は余とお浦との間の許婚も取り消しに成った事を話した、叔父は真面目に「己もお浦を彼の様に恐ろしい心とは思わず其の方と夫婦にしたら好かろうと其の様に計ったが、今では其の約束の解けるのは当然で有る、其の代り其の方には更に立派な許婚が出来るだろう」と様子ありげに云うた、何でも立派な許婚とは確かに秀子を指して居るらしい、余は襟元がゾクゾクした。
 話の漸《ようや》く終る所へ、取り次の者が来て、異様な風体の子供が余に面会を求めて居ると伝えた、或いは慈善を乞う乞食の子ででも有ろうかと思い、余は叔父の前を退いて直ぐに玄関へ出て見ると成るほど十五六歳に見える穢い子供が立って居て、卒然と一枚の田舎新聞を出し「此の広告に在る電報を人に頼まれて掛けたのは私ですが、頼み主を白状すれば幾等お銭呉れるのです」と、憎いほど露出《むきだ》しに問い掛けた、余は今以て、余の叔父を幽霊塔の近辺へ誘き出した彼の贋電報の作者が誰で有るかと怪しんで居る事ゆえ、聊か喜び、先ず子供の身姿を見て、是ならば充分と思う値を附け「三|磅《ぽんど》遣《や》るよ」と云うに、子供は単に「夫ではお話に成りません」と云って早やスタスタ立ち去り掛けた「コレ、コレ待て、貴様は幾等欲しいのか」子供「十磅」余「エ、夫は余り高過る」子供「でも頼んだ人から手紙が来て、此の広告を知らぬ顔で居れば今から二月の後、五磅遣ると云って来ました、其の方に従うが得ですもの」五磅と云う分外の報酬を此の子に遣り口留めを仕ようとする所を見ると先も余ほど自分の名を厭う者に違いない、爾すれば愈々彼の贋電報は深い目的が有って掛けた者ゆえ余も愈々差出人を知らねば成らぬ。「好し、十磅は茲に在る」と云って夫だけの紙幣を差し出して示すと、小供は「是だけ戴いても茲へ来る旅費も掛って居ますから余り旨い事は有りません」小利口な前置きを置いて爾して、説き出した。

第十八回 異様な花道

 小供の説き出した所に由ると、幽霊塔から僅かに七八丁離れた所に、草花を作って細々に暮して居るお皺婆と云う寡婦が有る、其の家は千艸屋《ちぐさや》と云って近辺で聞けば直ぐ分る、此の小供は其の家に雇われ草花の配達をして居る小僧である、或る時其の家へ年頃五十位の背の低い婦人が来て草花を買い、帰りがけに密《そっ》と小僧を物影に呼び、誰にも知らさずに此の電報を打って呉れと頼み、後々までも無言で居る様にとて口留めの金を一磅呉れた、其の翌朝、草花を配達して田舎ホテルへ行った所、其の婦人が犬猫よりも大きい狐猿を抱いて宿を立つ所で有ったと、是だけの事である、シテ見れば贋電報の本人は全く松谷秀子の附添人虎井夫人だ、勿論小僧の言葉に疑いは無いけれど、念の為に何か汝の言葉が証拠が有るかと問うた所、証拠は無いが五日程経て此の手紙が来た、と云って小僧の差し出すのを見ると、全く余が電信局で見た頼信紙の拙い文字と同じ筆蹟で「電信の事、誰にも云うな新聞の広告にも返事するな、誰にも知られぬ様に伏せ果せたなら今より二月の後、持って行って褒美を五磅遣る、きっとだよ」と書いて有る、是で充分だから余は約束の金を与え小僧を帰した。考えると余り愉快では無い、勿論怪美人、イヤ最う怪美人とは云うまい松谷秀子だ、其の秀子が知った事では無く全く秀子に隠して仕た事に相違は無いが、兎も角秀子の附添人が此の様な事を仕たかと思えば余の心中は何と無く穏かならぬ、贋電報まで作って余の叔父を誘き寄せる所を見ると叔父に対して何か軽からぬ目的を持って居るとしか思われぬ、爾すればお浦の疑った事も幾分か事実らしくも成る、併しナニ、併しナニ、秀子の知らぬ事だから何も虎井夫人の罪の為に秀子を疑う可き道はないなど、余は成る可く我が心で疑いを掻き消す様にしたが、実際秀子に逢って其の美しい顔を見ると、其の様な疑いは自分で掻き消す迄も無く独りで消えて仕舞った、決して悪事をする様な顔ではない。
 此ののち秀子は毎日又――一日置きほどに此の家へ来た、多くは虎井夫人が附いて居る、偶には一人の時も有る、叔父とは既に養父養女の約束が出来て居るから親密なは当り前だが、余とも仲々親密に成った、彼の虎殺しの一条から余は秀子を命の親と思い、イヤ余の方は何うでも好い、虎殺しがなくとも何がなくとも秀子を命の親と思う、秀子が顔を見せて呉れねば余の命は長く続かぬ、秀子も自ら余の為に助かった様に思う、殊に余が一身の危険をも構わずに虎の背後に飛び降りた心意気を深く喜び、此の後とても余にさえ縋って居れば何の様な敵をも防いで呉れると思って居るらしい、余は実に有難くて耐えられぬ、勿論何の様な敵だとて防いで遣る、遣るは遣るが余も其の防いで遣る可き権利の有る身分に早く成り度い、敵に向って「何故己の妻でも何でもない女を窘《いじ》めるか」では移りが悪い、保護するには何うしても我が物と云う動かぬ証拠を踏まえてからでなくば肝腎の所で足許がグラついて力が抜ける、尤も此の権利を得るのを今では爾まで六つかしいと思わぬ、折を得て余から縁談を言い込めば難なく整い相に見えるが併し、斯う思う度に、妙に心へ浮んで来て、気に成るのはお浦の言葉だ、お浦は甚く秀子の素性を怪しんだが、実際全く何者だろう、叔父は養女にまでしたのだから定めし素性を聞いたでは有ろうが余は未だ聞かぬ、時々言葉を其の方へ向けるけれど秀子は夫となく最と巧みに返事を避け、話を外の方へ振り向けて仕舞う。僅かに聞き得たのは、此の国へ来るまで米国のルイジヤナ州の州会議員から挙げられた行政官何某の秘書を勤めて居て、爾して彼の「秘書官」と云う書を著し、其の書の出版前に米国を出たと云う一事だけだ。
 先ず此の様な様で幾月をか経たが其のうちに幽霊塔の大修繕が出来上り、愈々引き移って、茲に転居の祝いと秀子を養女に仕た披露とを兼ね宴会を開く事に成った、叔父は一方ならぬ喜びで、最う恨みだの悲しみだのと云う事は一切忘れ、成る丈世を広く、余命を面白く送ると云い、朋友は勿論、是まで疎遠に成って居る人や多少の恨みの有る人にまで招状を発し、来る者は拒まずと云う珍しい開放主義を取った、余は今まで幽霊塔、幽霊塔と世人から薄気味悪く思われた屋敷が斯くも快豁《かいかつ》な宴会の場所と為り又此の後の余等の住居になるかと思えば何とやら不思議な国へ住居する様な心地がしてただ物新しい感じがする、居心《いごころ》は何の様だろう、何の様な事柄に出会すだろうと此の様に怪しんで、其の当日宴会の刻限より余ほど早く、未だ午後五時に成らぬうち汽車で塔の村へ着いた、停車場から凡そ二哩半の道を馬車も雇わずブラブラと歩んで行ったが、今思うと是が全く一家一族、最と異様な舞台へ入る花道の様なもので有った。

第十九回 鳥巣庵

 ブラブラと歩み、幽霊塔の間近まで行くと聊か余の注意を引いた事がある。幽霊塔には隣と云う可き家がない、一番近い人家は、小さい別荘風の建物で、土地の人が鳥巣庵《とりのすあん》と呼ぶ家である、此の家と幽霊塔とは二丁の余も離れて居れど、其の間に人家はない樹木ばかりだ、だから之を隣家と云えば云っても好い、聞く所に由ると昔都の贅沢家が唯夏ばかり遊びに来る為に建てた消夏亭で有るけれど先年幽霊塔でお紺婆が殺されて以来持主は其の様な近所は気味が悪いと云い、雑作まで取り外して他の別荘へ運んで仕舞い、爾して此の家は幽霊塔同様に立ち腐れに成って居た相だ。今まで余が此の土地へ来る度に其の家の壁に「雑作なし、貸し家」と云う朽ち掛けた札の下って居るのを見た、所が今度は、是も幽霊塔同様に誰か借り手が出来たと見え、其の札もなくなり、爾して中へは一通り雑作を仕た様子で、内外の掃除も届き、一目で以て中に人の気の有る事が分るのみならず矢張り今日が引越しと見え、多少の荷物などを停車場の辺から車で引いて来て箱に入れて居る、ハテ扨、此の借受人は何者で有ろうと、余計な事ながら余は其の家の窓を見たが、窓に誰だか人が居て、遽てて其の戸を締めて了った、何でも窓から首を出し余の様子を見て居たらしい、それが反対に余から認められるが厭だと思い急に戸を占めたのでは有るまいか、勿論誰だか分らぬけれど瞰《のぞ》いて居たのは若い婦人らしい、戸を締める途端に、華美な赤い着物が余の目へチラと見えた。
 けれど取り糺す訳に行かぬから余は其のまま去って幽霊塔まで行ったが、前に見た時とは大違い、手入れ一つで斯うも立派に成る者かと怪しまるる程に、塔の年齢が三四代若返って居る、殊に屋敷の周囲に在る生垣などは、乱雑に生え茂って垣の形のない程に廃れて居たのが、今は綺麗に刈り込んで結び直し、恐らく英国中に是ほど趣きの有る生垣は有るまいと自慢じゃないが思われる、余は内よりも先に外の有様を検め度いと思い、生垣に添うて一廻り巡って、終に裏庭から堀端へ出て土堤を上った、土堤を猶も伝うて行くと、読者の知っての通り、お紺婆を殺して牢死した殺人女輪田夏子の墓が有る、先に怪美人が此の墓に詣でたのを見て余は非常に怪しんだが、今度も亦詣でて居る人が有る、イヤ詣でたか詣でぬかは知らぬが、様子有りげに墓の前にたたずんで居るが、此の人は女でない。三十四五歳に見ゆる立派な紳士だ。
 余の足音を聞き、悪い所を見られたとでも思ったか素知らぬ顔で立ち去ろうとする、勿論余は引き留める事も出来ぬが、何うか其の顔を見たいと思い、顔の見える方へ足を早めた。先は真逆に逃げ走る訳にも行くまい、墓より少し離れた所で三間ほど隔てて余と顔を合わせたが、余は最早此の後十年を経て此の人を人込の中で見るとも決して見違える恐れはない、別に異様な顔ではないけれど、妙に妙に、ノッペリして、宛かも女子供に大騒ぎせられる俳優《やくしゃ》の顔とでも云い相だ、何となく滑らかで、何となく厭らしい、美男子は美男子だが余は好まぬ、恐らくは秀子とても決して好みはすまい、此の人は余と顔を合わせて宛も挨拶でも仕たそうに見えた、併し余が余り怪しむ顔をして居た為か思い直した様子で、徐々と立ち去り掛けた、何所へ立ち去る積りであろう、余は何うも見届けねば、気が済まぬ。夫とはなく見送って居ると、余が来た通りの道を取り土堤から生垣の外へ降り、頓て姿が隠れて了った、余は其の間に走って生垣の所へ行くと、先は後をも見ずに、何事をか考え考え外へ出る、是ならば振り向く気遣いもなかろうと余は猶も尾けて行ったが、或いは尾けられると知って故と背後を向かぬかも知れぬ、何うも爾らしい、爾して到頭彼の鳥巣庵へ這入って仕舞った、扨は是が鳥巣庵の主人かな、縦しや主人ではなくとも、夏子の墓の辺に徘徊する所を見ると何か一種の目的が有ってではなかろうか、鳥巣庵の窓から余を瞰《のぞ》いて居た女の影と云い、鳥巣庵が急に塞った所と云い、それこれを考え合わすと何だか偶然ではなさそうにも思われる。

第二十回 意外な人々

 余は何うも鳥巣庵の事が気に掛かる、誰が借りたで有ろう、何故に借りたで有ろう、彼の窓から余を瞰いた女は誰で有ろう、爾して彼の家に住む一人が殺人女の墓を見て居たのは何の為で有ろう。
 其のうちに宴会の時
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