、立つ事の出来ぬ、狭い低い穴である、併し之から塔の底へ行かれるに違いないから、余はホッと安心したが、雷は少しづつ鳴って居る、其の音の塔の中へ響ける様は、宛も塔の霊が余の這入ったのを怒って、唸るのかと疑われる、頓て穴を一間も歩むと、頭の支える広い所へ出て、下へ降る階段の上へ立った、余は一歩之を降り掛けて考えた、咒語には「載升載降」と有った、降る前に何処か登る所の有る可き様に思われるが、少しも登らずに直ぐに降るとは、本統の道で有るまい、若しや此の前に何方へか登る路が有りはせぬかと、今度は左右の壁を検めつつ取って返した、有るぞ有るぞ、狭い穴の右手の壁に、更に狭い穴が有って岐路《えだみち》になって居る、見れば斜に上の方へ登るのである、何でも之に違いないと其の穴へ潜り入ったが、其の狭い事は全く筒の中を抜ける様で這って行く外はない、けれど幸いに之は短く、僅かに一間半ほど行くと、又も立って歩まれる丈の広さと成った、余は暫く立って、若しや塔の底から何かの物音が聞えはせぬかと耳を澄して居たが、此の時、又も強い雷が霹靂《なりはため》いて、爾して何所から聞えるか知らぬけれど、一種の非常に鋭い叫び声が聞えた、人の声か獣の声か、殆ど判断出来ぬ、其の物凄い事は人ならば確かに絶命の声である、決して平生に出そうとて出る声でない、獣ならば他の強い獣に捕われ、締殺される時の悲鳴ででも有ろう、其の長引く様が、余の全身の神経へ悉く響き渡った、余は殆ど進むにも進まれぬ思いがした、抑も何の声であろう。
第百八回 宝の意味
何者の叫ぶ声だか、余は深く懼れを催した、けれど到底確かめる事は出来ぬ、或は秀子が塔の底で何か危い目にでも遭ったのかと此の様な疑いも湧き起った「秀子さん、秀子さん」と二声呼んで見たけれど、自分の声さえ恐ろしげに響くばかりで何の返事もない。
兎に角此の様な事に時を費して居られぬから其のまま歩み続けたが、茲から先は唯一筋の階段で塔の上へ登る許りだ、別に迷う様な岐路もない、軈て塔の絶頂だろうと思う所へ着いた、茲は五六畳かと思われた座敷に成って居る、定めし外を眺める窓なども有ろう、昼間茲から眺望すれば何れほどか宜い景色だろうと、世話しい間にも此の様な事などを思ったが、此の座敷を一巡して見ると一方に、今来た路より更に険しく降る所がある、アア「載升載降」とは之だと思い、此所を降り初めた、大凡の見当で、元来たよりも幾分か余計に降ったと思う頃、又も一個の室とも云う可き平な床へ降り着いた、熟く視ると此の室は八角に出来て居て、其の一角ごとに一個の潜戸が附いて居る、詰る所、余は上から降りて来て茲へ這入った戸口の外に七ケ所の戸口が有るのだ、どの戸口を潜れば好いか更に当りが附かぬ、又も咒語に頼る外はないと思い、能く考えて見ると確か「神秘攸在、黙披図※[#「※」は「たけかんむりの下にかねへんの碌」、読みは「ろく」、190−上2]」とあって図※[#「※」は「たけかんむりの下にかねへんの碌」、読みは「ろく」、190−上2]をさえ見れば分ると云う意味で有ろう、成ほどアノ図※[#「※」は「たけかんむりの下にかねへんの碌」、読みは「ろく」、190−上3]は唯見てこそ分らぬが、此の室へまでの道路の秘密を心得た上此の室で披《ひら》いて見れば随分思い当る所が有ったかも知れぬが、悲しい事には今はないのだ、虎井夫人が竊《ぬすん》で養蟲園へ送って遣ったのだ、其ののち何う成った事で有ろう、今更悔んでも仕方はないが、此の様な事と知らば、アノ図※[#「※」は「たけかんむりの下にかねへんの碌」、読みは「ろく」、190−上7]をも咒語と同様に暗記して置く所で有った、爾だ秀子が能く図※[#「※」は「たけかんむりの下にかねへんの碌」、読みは「ろく」、190−上8]を研究なさいと云ったよ、其の言葉にさえ従って置けば此の様な当惑もせぬのにと、余は心底から後悔した。
何でも此の様な時には気を落ち着けねば可けぬ、急げば急ぐだけ益々迷うのだからと、静かに時計を取り出して磁を検め方角を判断した、方角は分ったが其の上の事は更に分らぬ、併し此の室は塔の何の辺に当るで有ろう、何うも時計室の直ぐの下に在る余の居間と凡そ並んで居るではなかろうか、升《のぼ》り降りは階段や廊下の長さで大抵其れ位に考えられる。
果たしてそうとすれば、之が余の室の背後である、余の室は既に記した通り、四方とも縁側の様な廊下に成って居て、其の一方だけが、塞がれて物置きとせられて居るが、其の物置きの背後が何の様に成って居るかは今まで深く考えた事もない、単に余の室より外に室はない事の様に思って居たけれど塔の面積から考え合わすと仲々其の様な事ではない、物置きの背後の方に、余の室の倍より以上の室が有り得べき筈だ、今升ったり降ったりして来た道を考えても塔の中に様々の室があることが分る。
此の様に思案して居ると、再び以前の物凄い叫び声が聞えた、今度は前ほど鋭くなく、殆ど病人の呻吟《うめ》き声かとも思われ、爾して続き方も以前ほど長くなく少しの暇に止んで了った、余の見当に由ると何うしても今の声は余の居間で発した者だ、決して塔の底の方でもなければ上の方でもない、ハテナ、余の居間へ如何なる怪物が入り込んで居るだろう、斯う思うと引っ返して見届け度いような気もする、けれど明日の昼の十二時までは塔の此の部分から出る事は出来ぬのだから我が居間の事などは思うだけ無益である、其れよりは早く塔の底へ降らねば成らぬ。
図※[#「※」は「たけかんむりの下にかねへんの碌」、読みは「ろく」、190−下9]がなくては如何とも仕方はないが、兎に角、八所《やところ》の戸を悉く開いて検めるが第一だ、其のうち一ケ所は今上から降りて来て這入った所だから検めるには及ばぬ。
残る七ケ所を一々検めた、中には鼠が巣を作った跡の見える所も有る、成るほど鼠なら此の塔の秘密を知って居よう、鼠が言葉を解する者なら問うて見るのになど呟きつつ検めて最後の一ケ所と成ったが、有難い、此所には熟く視ると埃に印して足跡が附いて居る、確かに女の穿く踵の小さい靴である、之が秀子の足跡でなくて何であるか、余は真に神に謝した、最う秀子の居る所は分った、彼女は兼ねて充分に図※[#「※」は「たけかんむりの下にかねへんの碌」、読みは「ろく」、190−下18]をも研究して居たに違いないから、迷いもせず一筋に塔の底へ降ったのだ、此の上は此の足跡を見損ぜぬ様に、尾けて行けば其れで良い、蝋燭を振り照し、宛も猟犬が獲物の足跡を尋ぬる様に、注意に注意して降った、イヤ是から先の入り組んで居る事は、八陣を布いた様だ、小路の上に小路があり、或いは右、或いは左、忽ち登り忽ち降ると云う様で、足跡の助けなくば到底も行かれる事ではない、全体先あ何の必要が有って斯うも迷い易い面倒な道を仕組んだので有ろう、若し言い伝えられて居る通り大きな宝を隠す為とせば、其の宝は余ほど貴重の物でなくては成らぬ、咒語に「明珠百斛」などと有ったが、是が其の宝の意味か知らんと、余は益々怪しく思った。
第百九回 骸骨が錦を被て
真に八陣の様に入り組んだ廊下や階段を廻っては降り、降っては又廻り余は遂に之が最後の降り路で有ろうと思われる大理石の階段の上に立った。
茲で熟く考えて見ると、大抵此の辺が塔外《そと》の地盤と平均して居るらしく思われる、是から下は地へ掘込んだ穴倉の様な所に違いない。
何れほど深く穴倉へ這入るのかと、怪しみつつ其の石段を降り初めたが、又思うと此の石段が、確かに先刻|電光《いなびかり》が差し込んで、深く深く余の目に映じた其の階段に違いない、勿論アノ時は唯チラリと見た許りで、能くは見て取り得なんだ、けれど頗る様子が似た様に思われる、シテ見ると、人だか何だか着物を被た者が横たわって居る様に見たのも、此の石段の下で有る、若しや秀子で有ろうかと見直したけれど、其の時は早や電閃《いなずま》の光が消えて見る事が出来なんだが、之を降り盡せば其の横たわって居る一物を確と見届ける事が出来る、爾う思うと余は神気平なる能わずと云う様で、何となく薄気味悪く、胸も切に騒ぎ出した。
一段、又一段、愈よ段の下に着いた、正しく人の様な者が横たわって居る、蝋燭の光で見ると、其の着物が昔の錦襴の様な織物で有る、秀子の衣服とは全で違う、ハテなと思って余は、其の背だか何所だか手の当るに任せて引き上げて見たが、着物は余ほど古いと見え、朽た木の葉の破れる様に音もなく裂けて来る。
此の時、大方蝋燭が盡き、殆ど手に持って居るが六かしくなったから、更に新たなのを点け替て、此の人の頭の方を検めに掛かったが、余は尻餅を搗《つ》かぬ許りに驚いた、何うだろう、人と思ったのは幾年を経た骸骨で、晒しも切らずに黒く固まって居る、アア骸骨が錦を着て塔の底に寝て居るとは聞いた事がない。
けれど余は直ぐに思い出した、此の骸骨が昔此の幽霊塔を立てた此の家の先祖に違いない、塔の底へ這入ったまま、出る事が出来ずして、助けを呼びながら死んで了い、其の死骸は今日まで取り出す事が出来ずに在ると世の伝説に残って居るのが此の不幸な骸骨である、死ぬるまでに何れほどか残念であったやら、何れほどか悶いたやら、定めし其の恨みが今も消え得まいと思えば哀れにも有り、恐ろしくも有る、けれど余は猶此の上を見極めずに此の所を離れる事は出来ぬ、宛も目に見えぬ縄を以て死骸の傍へ縛り附けられた様な工合に、只|躄《すく》み込んで殆ど身動きも得せずに其の死骸の顔を見るに、何れほどか恨めしく睨んだであろうと思われる其の眼は単に大きな穴を留むるのみで、逞しい頬骨が最と悔しげに隆起して居るのも、其の時の痛苦の想像せられる種になる。
爾して猶だ驚いた一事は、骸骨の右の手が、堅く握った儘で、其の握りの中に古い銅製の大きな鍵を持って居る、何の鍵かは知らぬけれど、若し咒語に在る「明珠百斛、王錫嘉福」の語が、此の塔の底へ宝を隠して有る謎とせば、此の鍵は其の宝を取り出す為の鍵であろう、アア此の人や、生前に其の宝を隠さんが為に、斯様な異趣異様の塔を立て、自ら其の底に死し、猶足らずして、白骨と為って後までも宝庫の鍵を確《かた》く持ち、爾して髑髏の目を凹まして此の入口に見張って居るとは、宝に奇妙な因縁の生まれでは有ると、余は感慨に堪えぬ想いがした。
兎も角も此のまま置くとは何とやら其の人の冥福にも障る様な気がしたから余は手巾を取り出し、骸骨の顔を蔽《かく》し、回向《えこう》の心で口の中に一篇の哀歌を唱えた。
何分にも永居するに堪ぬから起き上り、最早此の辺に秀子の居る可き筈であると四辺を見廻したけれど何分にも蝋燭の光が弱く、一間と先は見えぬ、蝋燭を高く持てば自然と遠く其の光が達する筈と、頭の上へ差し上ようとしたが、忽ち天井へ支えて燈は消えた、爾だ茲は穴倉である、天井と床との間が僅かに六尺ほどしかない、三たび燈光を点け直し、静かに検めると、此の室の広さは分らぬけれど、壁に添うてズッと奥まで緋羅紗で張った腰掛台が列《つらな》って居て、其の前に確かに棺だろうと思われる大きな箱が、布の蔽に隠されて並んで居る、此の箱に何が収って居るかは余の問う所でない、余は唯、秀子は、秀子はと目を配るに腰掛台の端の方に伏俯向いた一人の姿は、見擬う可くもない秀子である、秀子、秀子、何が為に俯向いて居る、何が為に身動きもせぬ、若しや既に事切れとなった後にはあらぬかと、余は其の所へ馳せ寄った、爾して秀子の手を取ったが、悲しや其の手は全く冷え切って居る。
第百十回 毒蛇でも捨てる様に
取った手先の冷え切って居るのは全く事切れた後の様では有るけれど、余は何となく秀子の身体に猶だ命が籠って居ると思う。
真に秀子が死んだのなら、余は自ら制し得ぬ程に絶望すること無論であるけれど、何と云う訳か爾ほどには絶望せぬ、随分呼び活《い》ければ生き返る様な気がする。
片手に冷えた手を持った儘に四辺を見ると、多分は秀子が持って来たのであろう、腰掛台の上に手燭がある、蝋燭は今より幾十分か前に燃えて了った物らしい、依って余は自
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