気を揉んで待ったけれど、歩む許りで此方へ向かず、早や鏡から離れ相に成った。残念だと思う拍子に忽ち気が附き、自ら振り向いて見ると有難い、一方の鏡に反映して、其の人の正面が写って居る、余は実に驚いた、其の人は外でもない彼の権田時介である。

第七十一回 童顔鶴髪

 権田時介、権田時介、余は英国を立つ時にも彼を尋ねて逢い得なんだのに、今此の家から彼の立ち去るを見とむるとは実に勿怪の幸いである。暫し彼を引き留め度いと思い、室の外へ走り出て見たが、鏡に写った彼の影が、実際何処に居る者やら少しも当りが附かぬ、廊下には何の人影もない、更に庭へ降りて門の辺まで行って見たけれど早や彼の立ち去った後と見え、四辺寂寞として静かである。
 彼が何の為に此の家へ来たのか、云う迄もなく秀子の為であろう。併しどうして此のポール・レペル先生に頼る事を知ったであろう。余さえも唯非常な事情を経て漸く知り得た所であるのにイヤ是を見ても彼が余よりも深く秀子の素性を知って居るは確かである。恐らく彼は穴川甚蔵や医師大場連斎などと同じく秀子の身の上を知り盡して居るであろう、然るに余は、然るに余は――そうだ、全くの所秀子が何者であ
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