えられたと云う事ですけれど、実は幸いに助かって、怪我をしたままで或る人に救われました」
「其の救うた人と云うのが私の養母輪田お紺です、お紺は素性の賤しい女では有りましたけれど親戚とやら遺産を受け継ぎ一方ならぬ金持と為って、此の塔を買い取り、爾して猶有り余る金を旅費とし、一年ほど諸国を旅行し、遂に米国に参り、今申す火事の時、丁度其の土地に居わせし為、直ぐに怪我人の中から右の婦人と其の娘とを引き取ったのです、中々お紺は人を救う様な女では無かったと世間の人が申しますけれど、元々其の婦人の家筋に奉公し其の婦人を主人として、爾して其の婦人から恩を受けた事が有るとか申しまして多分は其の恩返しの為ででも有ったのでしょう、一説に由ると恩返しなどの為ではなく、実は幽霊塔の底に宝の有る事を知り其の宝を取り出した時に法律の上から争いが起こっては困るから、夫ゆえ幽霊塔の持主の血筋を引いて居る者を自分の手許へ育って置く為で有ったとも申しますが私は其のお紺の養女として其の養母の事を悪し様に判断する事は出来ませんから、真さかに爾とは思いません」
叔父は是まで聞き最早黙し兼ねたと見え、否寧ろ心の底より湧き起こる真情の為、堅く結びし唇を内より突き破かれし者と思《おぼ》しく、噴火の如く声を発して「左すれば其の婦人が丸部家の総本家の血筋を引ける者であったか」秀子「ハイ左様です」叔父「シテ其の婦人は」秀子「所天を恨んだ我が過ちを深く悔い所天に謝罪《わび》をする折を待つうち、空しく五年を経、此の幽霊塔でお紺の世話に成ったまま死にました、実は其の間に所天へ謝罪する折も有っただろうと思います、けれどお紺が毎も之を遮り、所天の怒りが仲々に強いから未だ其の時ではない、ない、と云い、気永く待つが肝腎だとて一年又一年と延しました、其のうちに死んだのです、死に際に、其の時丁度六歳になる娘へ懇々と言い含め、我が亡き後で、何うか父上に廻り逢い、我が身に代えて謝罪て呉れ其の謝罪の叶うまでは、死んでも浮かぶ事が出来ぬと云いました、父上は心の堅いお方ゆえ、娘よ、和女が立派な人と為り、自然と交際の上でお目に掛かる様にでも成らねば仲々逢っては下さるまい、何うか大人しく成長して、立派な身分に成る様に、成るようにと云いつつ亡くなられました」叔父「シテ其の娘は何した今でも未だ活きて居るのか、何所に居る、何所に居る」秀子「ハイ其の娘は、立派な身分に成りはせず、十七の年、世にも恐ろしい疑いを受け、養母殺しの罪人だとて終身の刑に処せられました、それでも此のまま牢死しては母の死に際の頼みを果たす事が出来ぬと思い、様々の事をして牢を脱け出し、今貴方の前に母にかわってお謝罪をして居るのです」叔父は寝台より辷り降り「オオ我が娘で有ったのか」と、抱き上げて熱い涙を真に雨の様に秀子の背に潜々《さめざめ》と降らせ落とした。
第百二十三回 大団円
秀子の物語には叔父のみでなく余も泣いた、権田時介も泣いた、殊に時介は、一種奇妙な義侠心の有る男で、自分の感情の為には命でも身代でも惜しまぬと云う意気を備え、既に秀子が為に業務を抛《なげう》つ程にまで働いたのも愛の為とは云え平生其の意気の有る人でなくては出来ぬ事、従っては斯る場合の感動も人一倍強いと見え、顔に当てた手巾《はんけち》の中から歔欷《すすりなき》の声を洩らした。
実に秀子の今までの境遇を考えて見れば是が泣かずに居られようか、我が父に逢って母の遺言を果たし度いとそれのみを心掛けて居るうちに、無実の罪に捕えられ何と言い開くも聴かれずして遂に牢の中の人と為り、命掛けの手段を以て漸く牢を出てからも人の一生に見た事もないほどの艱難辛苦を嘗めて居る、之を思うと余は最愛《いと》しさが百倍するけれど、悲しや其の人は既に他人の物、余は其の最愛しさを憎さと見せて居ねば成らぬ。
若し秀子が艱難も漸く届き今は其の身の潔白が分ると共に父に向かって母の死に際の願いを伝える事に立ち到ったのである、悲しさを別にして嬉しさのみの為にも涙が出る。
是で今まで合点の行かなんだ様々の事も分る、密旨の第三は確かに、父と親子の名乗りをして母の言葉を伝えるに在ったのだ、又叔父が初めて秀子に逢ったとき、分れた妻に似て居ると云って、殆ど我が子の様に思い、手を盡くして遂に養女にしたのも尤もである。
秀子は父の泣き鎮まり、其の身の心も稍や落ち着くを待って又説き始めた、「私をお紺の養女にする事は、勿論母が拒みました、けれどお紺が云うには本名の儘で母子が茲に忍んで居ると分れば父上が何れほど立腹遊ばすかも知れぬゆえ、後々は兎も角も帰参の叶う時までは自分の子にして、人に何者とも悟られぬ様にして置かねば成らぬなど言葉巧みに説きまして遂に私を輪田の姓に直し、本名の春子をも夏子と改めて了いました、私は松谷秀子でもなく輪田夏
前へ
次へ
全134ページ中132ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
黒岩 涙香 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング