聞けば分りましょう、輪田夏子は大層眉の生えた所が長く、殆ど両の眉が真中で出合う程に成って居ました、其の眉の両端を私が短く縮めて秀子の眉にしたのです、疑わしくば篤と両方の顔形をお見較べなさい、眉に長短の別は有っても其の実は同じ眉です、次には額の生え際を御覧なさい、夏子のは真中へ垂れ下って来て居て、真に美人の相に叶って居ましたが、惜しいけれど是を私が切り捨てて左右へ多少の伸縮を施し、秀子の生え際にしたのです、秀子の生え際は唯尋常の恰好で別に美人の相という程でありませんが、茲が聊か私の不手際でしたけれど、尋常としては尚だ最上の生え際です、其の代り、イヤ生え際が聊か劣った代りに髪の色艶で立優らせてある積りです、秀子の髪の色を御覧なさい。全く昔の女神と同じ事です、夏子の重い色より幾倍も優って居ます、尤も夏子の丸顔には重い色が似合いますけれど、軽く行かねば神仙的の高尚な美しさがありません、夫ならば扨、髪の色は何うして変る、之は世間の婦人達が生涯気を揉んで研究して居る所です、仲々婦人達には分りません、けれど此のポール・レペルに取っては極く極く容易な問題です、髪の性質を変ずる丈でも近頃は毎日一人以上の貴婦人客が尋ねて来ます」
第七十九回 一点の望み
先生は語を継いで「通例髪の毛の色を直すには染料を用います、けれど染めて直すのは誰にでも出来る事、学者を以て自ら居る私の様な者が研究すれば恥になります、髪の延びるに従って幾度も染め直さねばならぬ様な方法は技術ではありません、学術的とはいわれません、私の方法は、或る薬剤の注射により、髪の根にある色素という奴を変性させるのです、根本的の手段です、一旦色素が変性すれば幾度髪の毛が生え替えても又幾等長く延びて来ても其の色は一つです、一度直せば生涯再び手を入れるに及びません、いわば先ず造化の仕事で人間業ではないと云っても好いのです、唯其の中に難易があり、薄い色素を濃くするは易しいですが、濃い色を薄くするは極めて困難な事柄です、秀子嬢の髪の毛は濃い色を薄くしたので、仲々手数が掛かりましたけれど、充分の報酬を得ましたから少しも申し分はないのです。
「次は顔の形ですが、先ず其の顔形を見較べて私の言葉の嘘か実《まこと》かを判断して戴きましょう、私は兼ねて小さい動物に試験して身体を細くする術を発明しました、是も薬剤の力です、或る薬剤を食事の度に肉類と一緒に腹へ入れるのですが、急には行きませんけれど、月日を経るに従って肥えた身体が細くなり、円い顔は楕円となります、爾して少しも健康に害を及ぼしません、夏子の丸い顔が其の手段の為に秀子の楕円の顔と為ったのです、次は口許です、夏子の口許は真に愛嬌の泉ともいうべきで、之を変ずるは惜しい者だと思いましたが、変ぜずには置かれませんから、上唇を少し緊《し》めて聊か形を変え、爾して微かに口の両脇の筋を詰めてキリリとした締まりを見せました、全体筋を詰めたり弛《ゆる》めたりする事は世間の医者には出来ませんが、是も電気作用で、私に取っては左まで六かしい事ではないのです、笑靨をなくしたり拵えたりするは皆其の働きです、筋が詰まれば平らな所へ凹《くぼ》みが出来、筋を延せば凹んだ所が平らになります、私も夏子嬢の髪の色から生え際から、眉や口許や頬の様まで変って了って最う之で済んだのだと思いましたが、何うも笑靨の位置を変えねば、猶或いは之が為に人に見破られる恐れがあると思い顎の笑靨を消して了って其の代りに頬の笑靨を作りました。之が手術の大尾でした。
「私の斯る手術で、第一号の顔形にある輪田夏子が第二号の顔形にある松谷秀子に生れ変ったのです、誰が見たとて同人と思わぬは無理もありません、けれど造化の作った夏子の美しさと私の直した秀子の美しさと何方《どちら》が優って居るでしょう、素より夏子の美しさは此の上のない階級でしたが秀子のも矢張り此の上の階級はありますまい、私は之で以て造化の美術的傑作品をポール・レペルが傷つけたという非難は逃れ得た積りです、若し強いて双方の間に優劣があるとすれば、夏子は美しさよりも愛らしさが優り、秀子は愛らしさよりも美しさが優って居るとでもいうのでしょう、一方は天真爛漫の美で、一方は研《みが》ける丈研き揚げた美という者です、是だけの違いは有っても、其の実は同じ者だという事が、能く其の顔形を見較べれば自ら合点が行きましょう、エ、丸部さん、未だお疑いですか。夏子と秀子を全く別の人だなどと、まさかに最う、些《すこ》しの疑う余地もありますまい」
勝ち誇る様な口調で、先生は長々の講釈を結んで了った、余は実に情けない、余が世界に又とない美人と思い、未来の妻ぞと今が今まで思い詰めた松谷秀子が其の実は養母殺しの罪に汚れ、監獄の中に埋まって居た輪田夏子だとは抑《そもそ》も何たる因果であろう、顔は幾
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