ノ幽霊塔へ入り込んだ者であろう、真逆に時計を捲き試して相当の人へ教え度いと云う許りではあるまい、何にしても余ほど秘密の目的が有って、爾して其の身の上にも深い秘密が有るに違い無い、果して「分る時には自然に分る」だろうか、其の「分る時」が来るだろうか。
 此の様に思って歩むうち、忽ち横手の道から馬車の音が聞こえて、燈光がパッと余の顔を照らすかと思ったが、夫は少しの間で其の馬車は早や余等を追い越して仕舞った、併し余は其の少しの間に馬車の中の人を見て、思わず「アレ叔父が来ましたよ」と叫んだ、確かに馬車の中に余の叔父が乗って居る、尤も馬車の中から余の顔を見たと見え馬車は十間ほど先へ行って停り、其の窓から首を出して「アレ道さん、道さん」と余を呼ぶ者が有る。
「道さん」などと馴々《なれなれ》しく而も幼名《おさなな》を以て余を呼ぶ者は外に無い、幼い時から叔父の家で余と一緒に育てられた乳母の連れ子で、お浦と云う美人で有る、世間の人は確かに美人と褒め、当人も余ほど美人の積りでは居るけれど、余の目には爾は見えぬ、併し悲しい事には此の女が余の妻と云う約束に成って居る。何で其の様な約束が出来たか知らぬが、本来其の乳母と云うのが仲々剛い女で、叔父の家を切って廻して居たが、死ぬ前に叔父を説き附け、余が学校へ這入って居る留守中に余の未来の妻と云う約束を極めた相で、尤も余の叔父は人が願えば何事でも諾《うん》、諾と答える極めて人好しゆえ此の様な約束にも同意したのであろう、余は大恩ある叔父の言葉に背く訳にも行かず又今まで外に見|初《そ》めた女も無かったから其の約束に従い、何時でも余の定める日を以て婚礼すると云う事に成って居るが、余は余り進まぬから生涯其の日を定めずに居ようかと思って居る、美人でも何でも乳母の娘では、余り感心が出来ぬ、併しお浦は既に丸部夫人と云う気位で交際社会からも持て囃されるし、通例世間一般の女房たる者が酷く所天《おっと》を圧制する通りに余を圧制しようと試みる、余の為す事には何でも口を出す、愈々婚礼でも仕た後は余ほど蒼蝿《うるさ》い事だろうと覚悟して居る、併し閑話《あだしごと》は扨置いて、余は呼ばるる儘に急いで馬車の傍へ行こうとしたが、暫し怪美人に振り向いて「丁度叔父が来ましたから何うか今夜食事の後で時計の捲き方をお教え下さい、私が叔父へ話し、貴女へ面会を願わせますから」斯う云って怪美人に分れ、馬車の許へ駆けて行くと、叔父は怪訝な顔で「怪我は何うした、怪我は何うした」と畳み掛けて問わる。余「エ、怪我とは誰の」叔父「お前のよ」余「エ、私が怪我したなどとは夫は何かの間違いでしょう、此の通り無事ですが」叔父「無事なら何より結構だが、ハテな、誰の悪戯だろう、先ず此の電信を見よ」と云って一通の電信を差し出した、馬車の燈火に照して読むと「ドウクロウ、オオケガ、スグキタレ、イナカホテルヘ」と有り「叔父さん誰かが貴方を欺いて誘き寄せたのですよ、跡方も無い事です、併し此の様な悪戯者が有っては不安心です、貴方は直ぐに宿屋へお出なさい、私は直ぐに電信局へ行き、何の様な奴が此の電信を依頼したか聞いてから帰ります」叔父「四十里を通し汽車で、二時間半で此の先の停車場へ着いたが、己は疲れたから其の言葉に]おう」お浦は余が一言も掛けぬに少し不興の様子で「おや道さん四十里も故々《わざわざ》介抱に来た私には御挨拶も無いのですか、今一緒に歩んで居た美人にでも此の様に余所々々しいのですか」と、叔父の顔を顰《しか》めるにも構わず呶《ど》鳴った、余は単に「イヤ挨拶などの場合で無い」と言い捨てて電信局を指して走ったが、何うも変だ、何だか幽霊屋敷の近辺には合点の行かぬ事が満ちて居る様だ、併し今までの事は此の後の事に比ぶれば何でも無い。

第五回 神聖な密旨

 何者が何の為嘘の電報など作って余の叔父を呼び寄せたのだろう、余は電信局で篤《とく》と聞いて見たけれど分らぬ、唯十四五の穢い小僧が、頼信紙に認めたのを持って来たのだと云う、扨は発信人が自分で持って来ずに、路傍の小僧に金でも与えて頼んだ者と見える、更に其の頼信紙を見せて貰うと、鉛筆の走り書きではあるが文字は至って拙《つた》ない、露見を防ぐ為故と拙なく書いたのかも知らぬが、余の鑑定では自分の筆蹟を変えて書く程の力さえ無い人らしい、而も何だか女の筆らしい。
 是だけで肝腎の誰が発したかは分らぬ故、余は此の地の田舎新聞社に行き広告を依頼した、其の文句は「何月幾日の何時頃人に頼まれて此の土地の電信局へ行き、倫敦《ろんどん》のAMへ宛てた電信を差し出した小供は当田舎新聞社へまで申し来たれ、充分の褒美を与えん」と云う意味で、爾して新聞社へは充分の手数料を払い、若し其の小供が来たら、直ぐに倫敦の余の住居へ寄越して呉れと頼んで置いた。
 何も是ほどまで気に掛
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