故だろう、虎井夫人の言った事を考え合わすと、何だか看破せられるを恐れると云う様子も無きにしもあらずだ。
第二十一回 時計の音盆
お浦は全く秀子に対し戦争の仕直しに遣って来たのに違い無い、前の戦争は秀子を虎の顋に推し附け充分の勝利と云う間際で失敗した、今度は高輪田長三と云う恐る可き後押しを連れて居る、万に一つも失敗せぬ積りで有ろう。
成るほど、若しもお浦の疑う通り秀子を仲働き古山お酉とやらに化けた者とすれば、此の高輪田長三に一目見られたなら直ぐに看破される筈だ、夫にしてもお浦は何うして此の様な屈強な味方を得たで有ろう、後で聞けば、お浦が根西夫人と三ケ月ほど旅行して居るうち偶然に伊太利の宿屋で懇意に成ったと云う事だ、道理で分った、お浦は先頃より頻りに叔父の所へ詫び手紙を寄越して居た、一刻も早く此の高輪田長三を連れて秀子の化の皮を引剥《ひんむ》きたいと思った為で有ろう、叔父はそう執念深く人を怨まぬ気質で、一時はお浦の所業を怒ったけれど間も無く心が解け、帰参を許す気に成った、併しお浦へ帰参を許すは秀子に対して聊か憚る可き様に思い少し躊躇して居た様子で有ったが何に付けても思い遣りの有る秀子が夫と察し、若し私の為にお浦さんが何時までも此の家へ出入りが叶わぬ様では何だか私がお浦さんを恐れて邪魔でもする様に当り誠に心苦しいから何うか早速にお浦さんを許して上げて下さいと此の様に叔父に嘆願したと云う事だ、此の辺から見ると秀子は決して古山お酉では無い、若しお酉ならば益々お浦を避けこそすれ故々《わざわざ》口を利いて其の帰参に骨を折る筈は、決してない、トサ余は今まで全く斯う思い詰めて居たけれども、今し方、秀子が遽てて逃げた所を見ると何だか心もとなくもある、若しや秀子は、お浦には看破される恐れはないが高輪田長三に逢っては迚も叶わぬと斯う思ったのでは有るまいか。爾すれば矢張お酉かしらん。
真逆にとは思うけれど余は何となく心配で寧そ叔父が何時迄もお浦の帰参を許さねば好かったのにと、今更残念だけれど仕方がない、お浦は余に反し最う全くの勝利が見えたと安心してか、充分落ち着いて居て、今迄の様に粗暴でない、真に貴婦人の如く、物静かだ、言葉も振舞いも一寸と奥底の計り難い所がある、猶も余に向い説き明す様に「此の高輪田さんは輪田お紺の養子ですから此の頃まで単に輪田長三と云ったのですが、養子になる前の姓
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