開き「ヤ、ヤ、森探偵。此の品には確かに私が見覚えの有る様に思います」探偵「爾ですか、愈々見覚えがお有り成されば夫こそ屈強の手掛かりです」高輪田「見覚えが有っても軽率には云われません、私は生涯此の手袋は忘れません」余も生涯此の手袋を忘れる事は出来ぬ、此の手袋がお浦の衣嚢に在るは、全くお浦が消滅する前に無理に秀子より奪い取ったので怪しむには足らぬけれど秀子の身に取っては、何れほど重大な嫌疑の元となるかも知れぬ。
 余も今は殆ど此の所に居かねて、探偵に其の旨を告げて退いたが、家の内の人々は孰れも青い顔して、少しの物音を立てるさえ憚る如く、言葉も細語《ささやき》の声でなくては発せぬ、室の内を歩むにも爪立てて歩む程だ、言わず語らず家の中へ「恐れ」と云う事が満ちて了った、が、其の恐れの中にも最も重い疑いは秀子の身に掛かって居る、誰も口には出さぬけれどお浦の死んだのは秀子に責任があると云う様に心の中で思って居るらしい、「恐れ」が家に充満して居ると同じく「疑い」も家の内に満ちて居る、其の中に早や日も暮れたが余は探偵から呼ばれたに就いて再び死骸の室へ行って見ると、死骸には早や白い布を着せてある、探偵「ナニしろ此の死骸は水底で既に一週間ほど経た者ゆえ、斯うして置く訳に行かず直ぐに検屍を請いましたけれど、本統の取り調べは、既に日も暮れた事ですから明朝でなくては行われません、依って充分に防腐などの手数をも盡くして置きました」余「今夜誰にか番をさせましょうか」探偵「ハイ番は数人の巡査が交代して致します、私は唯明日の検屍の事を申して置きたいので」余「ハイ伺って置きましょう」探偵「明日の検屍には貴方の叔父さん、貴方、高輪田長三、根西夫妻、夫から松谷秀子と是だけが呼び出されますから其のお積りで」と特に秀子の名に力を籠めて云うは或いは到底秀子の罪は逃れぬから今から其の用心せよとの謎ではあるまいか、余は唯「左様ですか」と云って分れたが、此の死骸が何所まで人を驚かす事であろう、翌日の検屍には首のないよりも猶一層重大な事柄が発見された。

第三十九回 事件の眼目

 明日の死骸検査で、何の様な事が分って来るか知らぬが、余は何うしても心に安んずる事が出来ぬ、此の夜は殆ど眠らずに考えた、けれども取り留めた思案は出ぬ。
 全体誰がお浦を殺しただろう、秀子が殺したとすれば何も彼も明白だ、秀子は実際お浦を殺さねば成
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