み顔に「アア水死した者ではない、少しも水は呑んで居ぬ、死骸に成った上で堀に投げ込まれたのだ」と云った、次には腰の辺へ大きな石を縛り附けてあるのが現われた、死骸の浮き上らぬ用心たる事は無論である、叔父は殆ど見兼ねたけれど必死の勇を鼓して辛くに見てるらしい、次には左右の手の所まで解いたが、探偵ばかりは全く落ち着きくさって居て、静かに死骸の其の両の手を悉く熟視した、手には左右とも二個ずつの指環がはまってある、探偵「此の指環に見覚えは有りませんか」と叔父に問うた、勿論見覚えがある。余は幾年来、お浦の両手に都合四個の此の指環が輝いて居るのも見飽きた一人だ、叔父は前にも記した通り検事を勤めた昔と違い、非常に神経が弱く成って、充分に返事は為し得ず、単に「私が買って遣ったのです」と答えた、お浦の名さえも口に得出さぬ、探偵「誰に買って遣ったのです」と飽くまで抉《えぐ》る様に聞くから余は見兼ねて「浦原浦子にです」と代言した。
何しろ余り無惨な有様に、叔父は勿論余さえも此の上見て居る勇気はない、水の中で恨みを呑んで沈んで居たお浦の顔を見るのが如何にも辛い次第だから、俯向《うつむ》いて暫く目を閉じて居たが、其のうちに探偵は「アッ」と叫んだ、落ち着きくさった探偵が斯うも叫ぶほどだから余ほどの事が有るに違いない、数人の巡査も口々に「是は余りだ」と叫んだ、何事だろうと余も顔を見上げてたが、実に戦慄せずに居られぬ、お浦には顔がない、首の所をプッつり切って、頭だけなくなって居る、余ほど鋭い刃物で切ったに違いない、切口も美事なものだ、何だとて斯うも惨酷な事をしたのであろう。人を殺して首だけ切り取って何所かへ隠し、爾して首のない死骸だけを堀の中へ沈めて置くとは、人間の仕業でない、鬼の仕業だ。
第三十八回 首の無い死骸
読者は未だ首のない死骸を見た事は有るまい、非常に恐ろしく見ゆるは勿論の事、非常に背丈の短く、非常に不恰好に見ゆる者だ、お浦は随分背も高く、スラリとした好い姿で有ったが、何となく優美な所を失った様に見える、成るほど身体の中の第一に位する首と云う大切の権衡《つりあい》がなくなったのだから全体が頽《くず》れるのは当然だ。
何しろ此の恐ろしい有様に一同は暫しの間、一言をも発し得ぬ、顔と顔とを見合わす事も出来ぬ程だ、ミルトンの所謂、自分の恐れを他人の顔で読むのを気遣うとは、茲の事だ、其のう
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