有りの儘では秀子の身に何等かの疑いが掛りはすまいか、お浦の紛失する前に秀子とお浦との間に一方ならぬ争いが有って、秀子がお浦を永久悔むとも帰らぬ目に遭わせるぞと言い切った一条などは探偵の心へ何う響くか知らん、勿論余の知って居る所では、お浦の紛失は秀子の仕業ではない、お浦が床の上へ仆れると同時に秀子は余の傍へ馳け附けて来た、其の後でお浦が紛失した、爾して秀子は暫く経って後までもお浦が何処かへ隠れて居るのだと信じて居た事は其の時の挙動に分って居る、それだから秀子がお浦の紛失に関係のない事は余がそれに関係のないのと同じ事だけれど、探偵はそうは思うまい。
 余はお浦と秀子との争いを何の様に言い立てて好いか未だ思案が定まらぬに探偵は早や余の枕許へ遣って来た、幸いに彼は秀子の事を問わぬ、余の刺された件のみを問い始めた、余は有りの儘を答え、全く壁から剣が出た様に思ったと云い、猶刃物や毒薬の事に就いては医師の説を其のまま繰り返して耳に入れた、彼は職業柄に似合わず打ち解けた男で、自分の意見を隠そうとせず「イヤ毒薬などの事は、来る道筋で医師の家を尋ねて聞いて来ました、けれど貴方自身が壁から剣が出た様だと云うのでは少しの手掛りも有りませんねエ、シテ見ると矢張り手掛りの有る方から詮議せねば」余「手掛りの有る方とは」探偵「浦原浦女の失踪です」余「お浦の紛失には手掛りが有るのですか」探偵「ハイ手掛りと云う程でなくとも、兎に角、浦女と喧嘩して、永久悔むとも帰らぬ目に遭わせるとまで威した人が有りますから」余「エ、エ、其の様な事を誰に聞きました」探偵「其の当人に聞きました。松谷秀子嬢に」余「秀子が其の様な事を云いましたか」探偵「オオ貴方がそう熱心に仰有る所を見ると貴方と秀子さんは満更の他人では有りませんネ、浦原浦女は貴方の以前の許婚だと云うし両女の間に嫉妬などの有った事は勿論の事ですネ」余は寝床の中から目を剥《む》いて「秀子は私の何でも有りません、全くの他人です、お浦の方には嫉妬が有ったかも知れませんが、若し秀子の方に嫉妬の心などあった様に思ってお調べなさっては必ず大なる違いに陥りますよ」
 探偵は少し笑って「オオ忘れて居ました、貴方に今、心を動かせる様な事は云っては可けぬと医師から堅く断られて来たのです」と云って巧みに此の場を切り抜けて去って了った、後で余は倩々《つくづく》と考えたが秀子は既に自分の
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