れて此の室から運び去られた。
 余の怪我と聞いて、頓て叔父を初め大勢の人も馳け附けた、叔父は取り敢えず余を一番近い寝間へ寝かせようと云ったけれど、余は矢張り塔の四階に在る余の寝間へ連れて行って貰い度いと言い張った、怪我人の癖に塔の四階とは不便だけれど、余は兼ねて秀子に約束し、必ず塔の四階に寝ると云ってあるから、其の約束を守る積りだ、四階に寝て居れば又何の様な怪しい、寧ろ面白い事があるかも知れぬ。
 間もなく余は塔の四階へ舁ぎ上げられたが、何となく気に掛かるは、お浦の消えて了った一条だ、幾等考えてもアノ室より外へ出た筈はなく室の中で消えたに違いないけれど、人一人が燈火の様に吹き消される筈はないから、或いは何う云う事でアノ室を抜け出て鳥巣庵へ帰ったかも知れぬ、念の為だから鳥巣庵へ人を遣って見ねば成らぬと思い、叔父に其の事を頼んだ所、叔父は、「何も茲へお浦が来るには及ぶまい」と云ったけれど又思い直したか、
「爾だ、医者の所へ遣る使いの者に、帰りに鳥巣庵へ寄る様に言い附けよう」と、斯う云って下へ降りた。
 三十分ほどを経て、其の使いは帰って来たが、お浦は未だ鳥巣庵へも帰って居らぬと云う事だ、余は熟々《つくづく》と考えたが実に奇妙だ、何うして消えたのか到底想像する事も出来ぬ、併し明日にもなれば現われて来るかも知れぬ、ナニ現われて来ずとも少しも構いはせぬ、あの様な横着な女を寧ろ是きり現われて来ぬ方が幸いかも知れぬけれど、若し現われて来れば何うしてアノ室で身を掻き消したかと云う次第が分る、お浦に逢い度くはないが其の次第だけ知り度い。
 併し猶能く考えて見ると、お浦の紛失よりも余の怪我の方が一入不思議だ、アノ室にはアノ時余の外に誰も居なんだ、今思うと刺される前に余の背後で微かな物音が聞こえたかとも思うけれど、刺された後で逃げ去る人の姿さえ見えなんだ、宛《あたか》も壁から剣が出た様に思った、果して壁から剣が出れば剣の出る丈の穴が壁になくては成らぬけれど無論其の様な穴はない、爾すれば余を刺したのは目に見えぬ幽霊の仕業か知らん、昔から奇談は多いが、目に見えぬ一物に刺されたと云う事は聞かぬ、既に是だけの不思議な事が有って見ればお浦の身体が消えたのも怪しむには足らぬ。
 其のうちに叔父は医師と共に又上がって来た。医師の診断に由ると、余の傷は剃刀よりも薄い非常に鋭利な両刃の兇器で刺したのだと云
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