り其代り堪弁《かんべん》と云う者が強く為《なっ》て居《おり》ますから人を殺すほどの立腹は致しませず好《よし》や立腹した所で力が足らぬから若い者を室中《へやじゅう》追廻《おいまわ》る事は出来ません(荻)夫《それ》も爾《そう》だな(大)爾ですから是は左ほどの老人では有りません随分四十に足らぬ中に白髪ばかりに成る人は有ますよ是も其類です、年が若く無ければアノ吝嗇《しわんぼう》な支那人ですもの何うして白髪を染めますものか、年に似合ず白髪が有て能《よ》く/\見ッとも無いから止《やむ》を得ず染たのです(荻)是は感服だ実に感服(大)サア是から後は直《じき》に分りましょう支那人の中で独楽を弄ぶ位の子供が有《あっ》て、年に似合わず白髪が有て、夫で其白髪を染て居る、此様な支那人は決して二人とは有ません(荻)爾《そう》とも/\、だが君は兼て其支那人を知て居たのだな(大)イエ知りません全く髪の毛で推理したのです(荻)でも髪の毛で名前の分る筈が無い(大)ハイ髪の毛ばかりでは分りません名前は又外に計略を廻らせたのです(荻)何《ど》の様な計略を(大)イヤ夫《それ》が話しの種ですから、夫を申上る前に先ず貴方に聞て置く事が有ります今まで私しの説明した所に何か不審は有ませんか、若し有れば夫を残らず説明した上で無ければ其計略と其名前は申されません(荻)爾かな今までの所には別に不審も無いがイヤ待て己は此人殺しの原因が分らぬテ谷間田の云う通り喧嘩から起った事か夫《それ》とも又―(大)イヤ喧嘩では有ません全く遺恨です、遺恨に相違ありません谷間田はアノ、傷の沢山有ると云う一点に目が暗《くれ》て第一に大勢で殺したと考えたから夫が間違いの初です成る程、大勢で附けた傷とすれば喧嘩と云うより外に説明の仕ようが有りません、併し是は決して大勢では無く今も云う通り当人が、逃廻ったのと梯子段から落た為に様々の傷が附たのです矢張り一人と一人の闘いです一ツも大勢を対手と云う証拠は有ません(荻)併し遺恨と云う証拠は(大)其証拠が仲々|入組《いりくん》だ議論です気永くお聞《きゝ》を願います尤《もっ》とも是ばかりは私しにも充分には分りません唯遺恨と云う事丈が分ったので其外の詳しい所は到底本人に聞く外は仕方が有ません、先ず其遺恨と云う丈の道理を申しましょう」とて掌裏《てのひら》にて汗を拭いたり
大鞆は一汗拭いて言葉を続け「第一に目を附け可き所は殺された男が一ツも所持品を持て居無《いな》い一条です、貴方を初め大概の人が是は殺した奴が露見を防ぐ為めに奪い隠して仕舞ッたのだと申ますが決して爾《そう》では有りません、若し夫《それ》ほど抜目なく気の附く曲者なら自分の髪の毛を握られて居る事にも必ず気が附く筈です然るに髪の毛に気が附かず其儘握らせて有たのは唯|最《も》う死骸さえ捨れば好いとドギマギして死骸を担ぎ出したのです(荻)フム爾だ所持品を隠す位なら成る程髪の毛も取捨る筈だシテ見ると初《はじめ》から持物は持て居無《いなか》ったのかナ(大)イエ爾でも有ません持て居たのです、極々下等の衣服《みなり》でも有ませんから財布か紙入の類は是非持て居たのです(荻)併し夫は君の想像だろう(大)何うして想像では有ません演繹法《えんえきほう》の推理です、好《よ》し又紙入を持ぬにしても煙草入は是非持て居ました彼れは非常な煙草好ですから(荻)夫《それ》が何《どう》にして分る(大)夫は誰にも分る事です私しは死骸の口を引開て歯の裏を見ましたが煙脂《やに》で真黒に染って居ます何《ど》うしても余程の烟草|好《ずき》です煙草入を持て居ない筈は有ません、是が書生上りとか何《なん》とか云うなら随分お先煙草《さきたばこ》と云う事も有ますけれど彼れは爾で有ません、安物ながら博多の帯でも〆《しめ》て居れば是非|最《も》う腰の廻りに煙草入が有る者です(荻)夫《それ》なら其煙草入や財布|抔《など》が何うして無《なく》なッた(大)夫が遺恨だから無《なく》なったのです遺恨とせねば外に説明の仕様が有ません、遺恨も唯の遺恨では無い自分の身に恨《うらま》れる様な悪い事が有て常に先の奴を恐れて居たのです、何でも私しの考えでは彼れ余程|緩《ゆっ》くりして紙入も取出し煙草入も傍に置き、打寛ろいで誰かと話でも仕て居たのです其所へ不意に恐しい奴が遣《やっ》て来た者だから取る者も取合えず逃出したのです夫だから持物は何も無いのです(荻)而し夫だけでは何うも充分の道理とも思われんが(大)何故充分と思われません第一背の傷が逃た証拠です自分の身に悪い覚えが無くて何故逃ます、必ず逃る丈の悪い事が有る柄《から》です、既に悪い事があれば恨まれるのは当前《あたりまえ》です、自分でさえ悪いと思って逃出す程の事柄を先方が恨まぬ筈は有ません(荻)夫《それ》は爾《そう》だ、左すれは貴公の鑑定では先ず
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