はえ》る者では有りません、何《ど》の様な事が有《あっ》ても生《はえ》た儘の毛に逆髪《さかげ》は有ません、然るに此三本の内に一本|逆毛《さかげ》が有るとは何故でしょう即ち此一本は入毛《いれげ》です、入毛や仮※[#「鬟」の「口」の下の部分に代えて「小」、33−17]《かもじ》などには能く逆毛の在る者で女が仮※[#「鬟」の「口」の下の部分に代えて「小」、33−17]を洗ッて何うかするとコンガラかすのも矢張《やっぱ》り逆毛が交ッて居るからの事です逆毛と順の毛と鱗が掛り合うからコンガラかッて解《とけ》ぬのです頭の毛ならば順毛ばかりですから好《よし》んばコンガラかッても終には解《とけ》ます夫《それ》や最《も》う女髪結に聞《きい》ても分る事(荻)夫が何の証拠に成る(大)サア此三本の中に逆毛が有て見れば是は必ず入毛です此罪人は頭へ入毛を仕て居る者です(荻)夫《それ》なら矢ッ張り女では無いか女より外に入毛などする奴は無いから(大)爾《そう》です私しも初は爾《そう》思いましたけれど何《ど》うも女が斯う無惨《むざ》/\と男を殺すとは些《ち》と受取憎いから色々考えて見ますと、男でも一ツ逆毛の有る場合が有ますよ、夫《それ》は何かと云うに鬘《かつら》です鬘や仮面《めん》には随分逆毛が沢山交ッて居ます夫《それ》だから私しは若しや茶番師が催おしの帰りとか或は又|仮粧蹈舞《ファンシーボール》に出た人が殺したでは無いかと一時は斯も疑ッて見ました併し大隈伯が強硬主義を取てから仮粧蹈舞は悉皆《すっかり》無くなるし夫《それ》かとて立茶番《たちちゃばん》も此頃は余り無い、夫に逆毛で無い後の二本を熟《よ》く検めて見ると其根の所が仮面《めん》や鬘から抜《ぬけ》た者で無く全く生《はえ》た頭から抜た者です夫は根の附て居る所で分ります殊に又合点の行かぬのは此《この》縮《ちゞ》れ具合です、既に天然《うまれつき》の縮毛では無く全く結癖《ゆいぐせ》で斯う曲ッて居るのですから何《ど》う云う髪を結べば此様な癖が附ましょう、私しは宿所へ来る髪結にも聞きましたが何《ど》うも分らぬと云いました、爾《そう》すれば最《も》う全然《すっかり》分らん、分らんのを能く/\考えて見ると有りますワエ此通り髪の毛に癖の附く結い方が、エ貴方何うです、此癖は決して外では無い支那人ですハイ確に支那人の頭の毛です
荻沢警部は暫し呆れて目を見張りしが又暫し考えて「夫《それ》では支那人が殺したと云うのか(大)ハイ支那人が殺したから非常な事件と云うのです、固より単に人殺しと云うだけの罪ですけれど支那人と有《あっ》て見れば国と国との問題にも成兼《なりかね》ません事に由ては日本政府から支那政府へ―(荻)併し未だ支那人と云う証拠が充分に立《たゝ》ぬでは無いか(大)是で未だ証拠が立ぬと云うは夫《それ》や無理です、第一此罪人を男か女かとお考えなさい、アノ傷で見れば死《しぬ》る迄に余ほど闘った者ですが女ならアレほど闘う中に早く男に刃物を奪取《うばいとら》れて反対《あべこべ》に殺されます、又背中の傷は逃《にげ》た証拠です、相手が女なら容易の事では逃げません、夫に又女は―(荻)イヤ女で無い事は理屈に及ばぬ箱屋殺しの様な例《はなし》も有るけれど夫は不意打、アノ傷は決して不意打で無く随分闘った者だから夫は最《も》う男には違い無い(大)サア既に男とすれば誰が一尺余りの髪《け》を延《のば》して居ますか代言人の中には有《ある》とか言いますけれど夫は論外、又随分チョン髷も有りますが此髪の癖を御覧なさい揺れて居る癖を、代言人や壮士の様な散《ちら》し髪《げ》では無論、此癖は附かず、チョン髷でも同じ事、唯だ此癖の附くのは支那人に限ります、支那人の頭は御存《ごぞんじ》でしょう、三ツに分て紐に組ます、解《とい》ても癖直しをせぬ中は此通りの曲《くせ》が有ます根《もと》から梢《すえ》まで規則正しくクネッて居る所を御覧なさい夫に又支那人の外には男で入毛する者は決して有りません支那人は入毛をするのみならず夫《それ》で足《たら》ねば糸を入れます、此入毛と云い此縮れ具合と云い是が支那人で無ければ私しは辞職します、エ支那人と思いませんか」荻沢は一応其道理あるに感じ猶《な》お彼《か》の髪の毛を検めるに如何にも大鞆の云う通りなり「成るほど一理屈あるテ(大)サア一理屈あると仰有る柄《から》は貴方も最《も》う半信半疑と云う所まで漕《こぎ》つけました貴方が半信半疑と来れば此方の者です私しも是だけ発明した時は尚《ま》だ半信半疑で有たのです、所が後から段々と確な証拠が立《たっ》て来るから遂に何《ど》うしても支那人だと思い詰め今では其住居其姓名まで知て居ます、其上殺した原因から其時の様子まで略ぼ分って居ます、夫も宿所の二階から一足も外へ蹈出さずに探り究めたのです(荻)夫では先ず名前から云う
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