だどこをどうしてフランスにはいったかをその筋に知られたくなかったので、わざとああ書いたのだった。)
 その翌日(これも今となってはその日にちを明らかにしてもいいのだが、僕は一月五日にフランス船のアンドレ・ルボンというのに乗って上海を出て、二月十三日にマルセイユへ着いたのだった。)僕はマダムと別れて、リヨンへ行った。そこには僕の仮り国籍の同志が数名いて、僕はそれらの人達にあてた上海の同志からの紹介状を持っていたのだ。そしてヨーロッパにいる間その国籍の人間として通って行くには、まずそこの同志のいろんな厄介にならなければならなかったのだ。
 僕はパリへの旅を急いでいた。そしてこのリヨンには、またあとでゆっくり来るとしても、こんどは一晩か二晩とまってすぐパリへ立つ予定でいた。が、リヨンの同志はそれを許さなかった。
「ここには大勢僕等がいて、いろいろと便宜があるんだから、ここを君の居住地ときめて置いて、まずカルト・ディダンティテを貰って、それからどこへでも行くといい。」
 と言うんだ。僕は支那からフランスに来るという旅券しか持っていないので、さらにフランスからヨーロッパ諸国へ廻る旅券を貰う必要が
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