ネがら、そのボーイの持って来た夕飯の皿に向った。実際、こうした下宿屋には、東洋人が来ることはほとんど絶対にない。お客はみな毛唐ばかりなのだ。

    六

 上海に幾日いたか、またその間何をしていたか、ということについては今はまだ何にも言えない。ただそこにいる間に、ベルリンの大会が日延べになったことが分ったので、ゆっくりと目的を果たすことができた。そして、その間に、日本では、僕が信州の何とか温泉へ行ったとか、ハルピンからロシアへ行ったとか、香港からヨーロッパへ渡ったとか、いやどことかで捕まったとか、というようないろんな新聞のうわさを見た。上海の支那人の新聞にも、そうしたうわさを伝えたほかに、ロシアから毎月幾らかの宣伝費を貰っている、というようなことまでも伝えた。
 そして、本年某月某日、僕は四月一日の大会に間に合うように、ある国のある船で、そっとまた上海を出た。途中のことも今はまだ何にも言えない。
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(上海で何をしていたのかは日本に帰った今でもまだ言えないが、ここで大会の日延べになったことが分ったとか、日本でのいろいろなうわさを聞いたとかいうのはうそだ。それはパ
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