B
が、こんどは、例の共産党の先生等のペラペラのお蔭で、これらのおなじみのホテルへは行けなかった。近藤栄蔵が捕まって以来、日本政府の上海警戒が急に厳重になったのだ。そして僕等が前に泊ったホテルにはどんな方法が講じてあるかも知れなかったのだ。
で、僕はまず、支那の同志Bの家へ行った。まだ会ったことのない同志だ。しかしその夏、やはり支那の同志のWがひそかに東京に来て、お互いの連絡は十分についていたのだ。そして僕がこんどこの上海に寄ったのは、ベルリンの大会で(九字削除)が組織されるのと同時に、僕等にとってはそれよりももっと必要な(八字削除)の組織を謀ろうと思ったからでもあった。
折悪くBはいなかった。そしてその留守の誰も、支那語のほかは話もできず、また筆談もできそうになかった。僕は少々途方にくれた。ほかへ行くにも前に知っている支那人や朝鮮人は今はみなロシアに行ってしまった筈だ。新政治家の友人も、その後陳烱明の謀叛のために広東を落ちて、たぶん今は上海にいるんだろうとは思ったが、どこにいるんだか分らなかった。こんなことなら、あらかじめBに僕の来ることを知らして置くんだった、とも思った。が
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