対する仕方なぞはずいぶんひどかった。
 ある日、ポーランド人の若いピアニストが何かのことから支那の労働者を怒鳴りつけて、支那人なんかは人間じゃないんだ、奴等にはどんなことをしたっていいんだ、と傲語しているところへ、ペチカ等が来た。そしてペチカ等はこのピアニストに食ってかかって、支那人だって人間だ、われわれロシア人やポーランド人と同じ人間だ、と言って、その半日を両方真赤になってこの議論で暮した。
 そのペチカ等が、ユダヤ人だと言うと、まるで見むきもしないのだ。そして僕が時々そのユダヤ人等と話ししているのを見ると、その日一日は僕に対してまでも不機嫌な脹れ面をしているのだ。
 僕はこのペチカ等のあるものの紹介で、一等にいた一人のロシア人の女とも知りあいになった。この女はモスクワ大学の史学科を出て、パリにも留学したことがあり、大ぶ進歩した自由思想の持主で、いつも僕と一緒に上陸してはできるだけ遠く田舎へドライヴして、土人の生活を見るのを楽しみにしていた。そしてマダムはそれら土人の生活を心から愛していたようだった。
 しかるにこのマダムが、アフリカのヂブチに上陸していろいろと買物をしようとした時、
前へ 次へ
全159ページ中141ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
大杉 栄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング