や年齢なぞが出て来るのだ。それでなくとも、それからそれへの手づるはいくらでも出て来よう。僕は警察へ引っぱりこまれるとすぐ、水を飲ましてくれと言ってうんと飲んだ上に、さらに小便が出ると言って便所へ行って、まず第一にそれを破り棄てようと思ったのだった。が、その中にはいっている名刺や紙きれを破っている間に巡査に来られて、それを果すことができなかった。
 仕方がない。まだ少し早すぎるようだが、とにかくみんなの勧めに任して、偽名通りの名を言ってしまおう。僕はそうきめて、某国の某というものだと答えた。そして旅券や身元証明書は、ドイツ行きの許可証を貰うためにリヨンの警察本部にあずけてあると事実ありのままを言った。職業は新聞記者だ。主義はサンジカリズムだ。なぜ日本人だと紹介さしたと言うから、日本には長くいてその事情にも詳しいし、日本の話をするには日本人だと言った方が効果が多かろうと思ったからだと答えた。
 それで、リヨンの警察へ問い合せられてその実際が分り、本当になんでもなくって放免されるならそれもよし、そうでなくってこの上何とかされるならそれももう仕方がないと思った。

 一応取調べは終った。もう、とうに夜になっていた。
 一人の私服がちょっと室のそとへ出たかと思うと、すぐ四、五人の荒らくれ男の制服がやって来て、いきなり僕の両手を鎖でゆわいつけて、引っぱり出した。
「いよいよ監房かな。」
 と思っていると玄関の方へ連れて行かれて、そこには一台の大きな荷物自動車と十人ばかりの巡査とが待っていた。そして、しゃにむに僕をその箱の中に押しあげて、十幾人かの巡査どもが続いて乗りあがるとすぐ自動車は走り出した。
 高い屋根のある大きな箱だ。中は真暗だ。僕は両手をゆわえられ、両腕や肩を握られながら、その片すみにあぐらをかいていた。
 折々奴等の吸う煙草のあかりで、奴等の顔が見える。どうもヨーロッパ人くさくない面つきの奴が多い。あるいはアフリカあたりの植民地の蛮民か、それとも植民地の兵隊との相の子か、と思われるような奴等だ。奴等はみな今どこかで喧嘩でもして来たような、ひどく昂奮した勢いでいた。そして何だか訳の分らない言葉でキャッキャッと怒鳴っていた。
 やがて、僕の一方の肩をつかまえていた奴が、熊のような唸り声を出して、僕の肩をこづき始めた。僕は形勢不穏と見てとって眼鏡をはずしてポケットに入れた。すると、僕のすぐ前にいた奴が、狐のような声を出しながら、僕の顔をげんこで突っつき始めた。そして、
「この野郎、殺しちゃうぞ」とか、
「支那人のくせにしやがって」とか、
「ドイツ人に買われやがったな」とか言う。
 多少はっきりしたフランス語のほかに、何のこととも分らないあるいは熊のような、あるいは猿のような、あるいは狐のような、いろんな唸り声や鳴き声が、僕の上に浴せかけられた。
 中には、サックの中からピストルを出して、それで僕の額を突くやら、剣を抜いて頭をなぐる奴まで出て来た。
 しかし行くさきはつい近くだったものと見えて、自動車はすぐにとまった。そして奴等は半分は前から僕を引きずりおろしながら、そして半分はうしろから僕をなぐるやら蹴るやらして、ある建物の中に押しこんだ。そこは同じセン・ドニの、ただ南北の区の違う、別な警察だった。そして入口のすぐ奥の広い室にはいると、そいつらが一どきに僕に飛びかかって来て、ネクタイやカラーやバンドや靴ひもを引きちぎって、そのまた奥の監房の中へ押しこんでしまった。
 僕はそのままぐっすりと寝た。
 翌日は朝早く二人の私服に護送されて、こんどは普通の自動車で警視庁へ行った。
 一日またきのうと同じようなことの取調べだ。そして僕が前にパリにいた時の宿屋をいつまでも頑ばって言わなかったら、四、五人で一緒に自動車に乗っけて、どこへ行くのかと思ったら、一々僕のもといた宿へ寄って、そこの主人やお神に顔をたしかめさせた。みんなもう知っていやがったんだ。
 そして帰って来ると、外事課の大きな室のそばに一室を構えている、たぶん課長だろうと思う、警視が、
「君は大杉栄と言うんだろう。」
 と図星をさしやがった。そこまで分っているんなら、もう面倒臭い、何もかも言ってしまえときめた。
 その警視が何かの用でちょっとほかへ行っている間に、さっき自動車で一緒に行った私服の一人が、
「日本でも、うんとメーデーをやったようだから安心したまえ。」
 と言いながら、共産党の日刊新聞『ユマニテ』のある小さな一部分を指さして見せた。「数十名の負傷者あり」というような文句がちらりと見えた。また、サン・ドニの僕のことに関する一段あまりの記事も見えた。
 それにはもとより僕の本名は出していなかった。それがどうして分ったのかよく分らなかったが、あとで聞くと、日本の大使館からあるい
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