ろと出て行くものすらある。
 時々聴衆の中から、「もういい加減に演説をよしてそとへ出ろ」という叫び声が聞える。会の始まる前に『ル・リベルテエル』や『ラ・ルヴィユ・アナルシスト』(無政府主義評論)なぞを会場で売り歩いていた連中だ。が、それに応ずる声も出ない。そして演壇の上からはしきりにその叫び声を制している。
 僕はコロメルの演説がすんだら、一緒にどこかへ行って、ある打ち合せをする筈だった。が、そんな打ち合せはもうどうでもいいような気になった。そしてこの「外へ出ろ」の叫びを演壇の上から叫びたくなった。
 いよいよコロメルの順番になった。僕はコロメルを呼んで、君の後でちょっと一とこと喋舌りたいんだが、と耳打ちした。コロメルはそれを司会者のたぶん共産党の何とかいう男に通じた。司会者は僕のそばへ来て、何を喋舌りたいのかと聞いた。共産党や無政府党が共同で何かやる時には、いつもその時の標語についてだけ演説する約束のあることは知っていた。で、僕はただ、日本のメーデーについて話したい、と答えた。コロメルは僕を日本のサンジカリストだと紹介しただけなので、司会者は僕の名も何にも知らなかったのだ。
 コロメルの演説の間、僕は草稿をつくっていた。そしてその演説の終り頃に演壇の上の弁士席についた。コロメルがルール占領の張本人である王党の一首領を暗殺した若い女の無政府主義者ジェルメン・ベルトンの名をあげて何か言った時、演壇近くにいた四十ばかりの一人の女工らしいのが涙を流し流し、泣き声で「セエサ、セエサ」(そうです、そうです)と叫んでいた。
 僕は司会者に言った通り、日本のメーデーについて話した。
「日本のメーデーはまだその歴史が浅い。それに参加する労働者の数もまだ少ない。しかし日本の労働者はメーデーの何たるかはよく知っている。」
「日本のメーデーは郊外では行われない。市の中心で行われる。それもホールの中でではない。雄弁でではない。公園や広場や街頭での示威運動でだ。」
「日本のメーデーはお祭り日ではない。(五字削除)。(二十八字削除)。」
「(八字削除)飛ぶ。(七字削除)光る。」
 僕の多少誇張したこの「日本のメーデー」は、わずか二、三十分ながら、とにかく無事で終った。そしてさっきの四十女が時々「セエサ、セエサ」と叫んでいるのが目にも耳にもはいった。

 そして僕は演壇を下って、「そとへ出ろ、そとへ出ろ」という叫び声を聞きながら、一人でそとへ出ようとしたところへ、四、五人の私服がぞろぞろとやって来て、「ちょっと来い」と来た。

    四

 警察はすぐ近くだ。僕は手どり足どり難なく引っぱって行かれた。
 やがて警察の前で大勢のインタナショナルの歌が聞えた。叫喚の声が聞えた。警察の中庭に潜んでいた無数の警官が飛びだした。僕は警察の奥深くへ連れこまれた。
(これは後で聞いた話だが、会場の中の十数名の女連が先頭になって、ただ日本の同志だというだけで名も何にも分らない僕を奪い返しに来たのだそうだ。そして警察の前で大格闘が始まって、女連はさんざん蹴られたり打たれたりして、その結果百人ばかりの労働者が拘引されたのだそうだ。警察の中ででもなぐったり蹴ったり、怒鳴りわめいたりする声が聞えた。)
 僕は国籍も名も何にも言わなかった。旅券も身元証明書も、そんな書類は何にも持っていないと言いはった。その他の取調べに対してはほとんど何にも答えなかった。
 が、やがてそこへコロメルがはいって来た。僕を貰いに来たのだ。そして僕に旅券通りの名を言うようにと勧めて行った。そのあとへまた、司会者の男が二、三名の連れと一緒にやって来た。そしてやはりまた同じようなことを勧めた。要するに何でもないことなんだから、名さえ言えば帰されると言うのだ。
 僕はちょっとのすきを窺って、ポケットの中の手帳を司会者の手に握らした。それは一度警官の手に取りあげられたんだが、司会者等のはいって来たどさくさまぎれにまた取り返して置いたのだった。が、また取調べが始まった時、一人の私服がその手帳のないのに気がついた。そして僕を責めた。僕は知らないと頑ばった。すると、もう一人の私服が、それじゃきっとさっきのムッシュ何とか(司会者の名だ)に渡したんだろうから、行って取って来ようと言いだした。
「なあに、もう持っているもんか。誰かほかの人間に渡しちゃったよ。」
 最初の私服がそう言ってあきらめているらしいのに、もう一人の奴は「でも」とか何とか言って出て行った。そしてやがてそれを本当に持って帰って来た。最初の私服は大喜びでそのページをめくり始めた。
 それを一枚一枚よく調べて行けば、どこかに僕の偽名が出て来るのだ。少なくとも、何かの際の覚えにと思って書きつけて置いた、カルト・ディダンティテの中の出たらめ、たとえば僕の両親の名
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