nにあたるところに水と湯との二つの栓がついている。そしてその真ん中ごろの両側が瓢箪形に少しへこんで、そこへ腰をおろすのに具合のいいようになっている。が、おまる[#「おまる」に傍点]にしては、固形物の流れるような穴はない。また立派な西洋風呂のあるのに、こんなもので腰湯を使うのも少しおかしいと思った。試みに栓をねじると、恐ろしい勢いで、水か湯かがジャジャジャアと出て来る。そして僕は、夜中になるとよく、となりの室でしばらく男と女の話し声が聞えると思ったあとで、このジャジャジャアのおとを聞いた。
 寝台は大きなダブル・ベッドだ。枕はいつでも二つちゃんと並べてある。これは前の安ホテルででもやはりそうだったが。
 パリについた晩、近所のうすぎたないレストランへ行って、三フラン五十の定食を食った。日本の一品料理見たいなあじのものだ。で、しかめつらをして食っていると、日本ではとても見られないような、毛唐と野蛮人とのあいの子のようなけったい[#「けったい」に傍点]な女がはいって来て、ココココと呼びかける。坊やというほどの意味だ。僕は恐ろしくなってさっそくそこを逃げだした。
 が、そとへ出ると、すぐおなじような女がそばへやって来て「いかがです」てなことを言う。ホテルの前のかどでも、そんな女が二人突っ立っていて、いきなり僕の腕をとって、何やかやと話しながら一しょにあるいてくる。よくは分らないが、「五フランなら」というような言葉がその中にあったように思う。実は、このベルヴィル通りの労働者街を逃げ出したのは、おまわりさんもこわかったが、この五フラン女もこわかったのだ。
 それからパリの中心のグランブウルヴァル近くのあるホテルへ引っこすとすぐ、夕方その辺をぶらぶらしながら、ちょっとはいるのに気がひけるようなある大きなキャフェへはいった。キャフェは実にうまい。僕は二、三ばい立てつづけに飲んだ。そして「もう一ぱい」とボーイに言いつけている間に、ふと五つ六つ向うのテーブルにいる若い綺麗な女が、僕の顔を見ながらニコニコしているのに気がついた。これはまた、日本ではとても見られないような、本当の西洋人の目のさめるような女だ。
 僕はきっと僕があんまりキャフェを飲むんで笑っているんだろうと思った。それともまた、色の浅黒い妙な野蛮人がいるなと思って笑っているのかともひがんで見た。どっちにしても、僕にとっては、あんまり気持のいいことではない。僕は少々赤くなって、すましてほかの方を向いた。
 すると、そこにもやはり、一人の若い綺麗な女が、僕の顔を見てニコニコしているのにぶつかった。少し癪にさわったので、こんどは度胸をすえて、こっちでもその女の顔をじっと見つめてやった。
 が、笑っているんじゃないんだ。目がうごく、口がうごく、何か話しかけるように。
 僕は変だなと思って、こんどは前の女の方を見た。やはりニコニコしている。そして今の女よりももっと、しきりに話しかけるようにして、顎までもうごかす。
 僕は少々きまりが悪くなって、急いでキャフェを飲みこんでそこを出た。

    三

 翌日は、ちょっと用があるんで昼からタクシーでそとへ出た。自動車で道が一ぱいなので、車はよく止まる。そして、ぞろぞろとまた、歩くようにして走り出す。僕は急ぎの用じゃ自動車では駄目だなと思った。
 こうして、ある広場の入り口でちょっと道のあくのを待っている間に、僕は、一人のやはり若い綺麗な女が、ニコニコしながらのぞきこんでいるのを見た。まど越しなので言葉は聞えないが、何か言っているようにすら見える。が、その言葉を聞きとろうと思って耳をかたむけている間に、車は走り出した。
 その日は大奮発をして三十フランばかりの夕飯を食って、また大通りをぶらぶらしていると、何とか嬢の何とかの歌、何とか君の何とかの話というような題をならべた、寄席のようなものがあった。はいった。歌も話も、割りによく分るのでうれしかったが、それがあんまりつまらないくすぐり[#「くすぐり」に傍点]ばかりなので、いやになってすぐ出た。
 そして、また大通りのショー・ウィンドウのあかあかとてらしたところや、キャフェのテラスの前を、ぶらぶらとあるいた。テラスというのは、キャフェの前の人道に椅子、テーブルを持ち出して並べてあるところだ。そこでは、大勢の男や女ががやがや面白そうに話ししながら、何か飲んでいる。そしてところどころに一人ぽっちの若い女がいて、それがほかの一人ぽっちの男にいろいろと目くばせしたり、前を通る男に笑いかけたりしている。
 道を通る女という女は、ほとんどみなその行きちがう男に何か目で話しかけて行く。そして、おや見合ったなと思っているうちに、もう二人で手を組んだり、あるいは肩や腰に手をかけたりして、ペチャクチャ何か話ししながらあるいて行
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