が、大した反響も見えない。もっとも、この際官憲に乗ぜらるようなことがあってはいけないから、みんなできるだけおとなしく反抗しろと戒めてはいたが。
 そしてこの兵隊さんらは、日曜ごとに、女の大きなお臀を抱えながら、道々キスしいしいぶらぶらと市中を歩いている。
 天下泰平だ。

    九

 僕がフランスに着いてからの主な仕事の一つは、毎朝、パリから出るほとんど全部の新聞に目を通すことだった。
『ユマニテ』には、僕が着く早々、北部地方の炭坑労働者の大同盟罷工が報ぜられていた。そしてその罷工の勢いが日ましにはなはだしくなって行って実際七、八万の坑夫がそれに加わったようだった。しかるに、多くの資本家新聞には、毎日ほんの数行その記事があるくらいで、しかも毎日坑にはいって行く労働者の数がふえて行くように書いてある。罷工者の数も大がいは何百とかせいぜい何千とかあった。
 その後パリで八千人ばかりのミディネット(裁縫女工)の罷工があった時にも、資本家新聞を読んでいるだけでは、まるで分らない。きのうもきょうも、幾百人ずつの女工の幾組もが、あちこちの工場へ誘いだしの示威運動に行って、いたるところで警官隊と衝突しているのに、新聞ではほんの数行、しかももうとうにその罷工が済んだように書いてある。そして新聞ではもう幾度もみんなそれぞれの工場に帰っている筈の間に、C・G・T・U事務所の罷工本部では、それら数千の女工連が笑いさざめき歌いどよめいていた。
 こうした新聞の態度を、労働者はその運動の上に使うサボタージュという言葉で言いあらわしている。資本家新聞は、あらゆる労働運動の上に、実によくサボる。
 が、それは当然のことで、何の不思議もある訳ではない。それよりも、そら罷工だ、そら何とかだ、と言ってちょっとしたことでも騒ぎたてる日本の資本家新聞の方が、よっぽど可笑しいくらいだ。
 しかし、同盟罷工そのものをサボる労働者が、労働団体が、あるのには少々驚かされた。それもかつてはその革命的なことをもって世界に鳴っていたC・G・Tがだ。石炭坑夫の罷工の時には、このC・G・Tの首領等が、目下の独仏の危機に際して石炭業の萎縮を謀るのは敵国のためにするものだ、というようなことを言い廻って、坑夫等をなだめていた。
 僕は日本に帰るとすぐ、最近本所の車輛工の同盟罷工で、友愛会の労働総同盟がそれに似た罷工破りをやった話を聞いて、どこもかもよく悪いことばかりが似るものだと感心した。
 共産党やC・G・T・Uが何かやれば、社会党やC・G・Tがサボる。そしてその共産党がまた、無政府党のやることとなると一々にサボる。
 僕がメーデーに捕まった時には、『ユマニテ』では一段あまりの記事を書いた。が、その翌日僕が日本の無政府主義者と分って以来は、裁判のことも追放のこともついに一字も書かない。まったくの黙殺だ。そして王党の『ラクション・フランセエズ』なんかになると、最初から最後まで、「例の殺人教唆の無政府主義者」云々で押し通していた。
 サボタージュにも、「安かろう悪かろう」の意味の消極的のものもあれば、「生産妨害」の意味の積極的のもある。
 最近の『東京朝日新聞』に、そのパリ特派員の某君の記事の中に、王党の一首領を暗殺したジェルメン・ベルトンのことを「例の政治狂の少女」と書いてあった。それくらいならまだいい。彼女は、フランスの資本家新聞では「淫売」であり、「ドイツに買われた売国奴」であり、また「警察の犬」でもある。
 そしてフランス無政府主義同盟の機関『ル・リベルテエル』は、ほとんど毎週、彼女の弁護のために発売禁止され、その署名人と筆者とはラ・サンテにほうりこまれている。

    十

 パリに着いた晩、夕飯を食いに、宿からそとへ出て見て驚いた。その辺はまるで浅草なのだ。しかも日本の浅草よりも、もっともっと下劣な浅草なのだ。
 貧民窟で、淫売窟で、そしてドンチャンドンチャンの見世物窟だ。軒なみに汚ないレストランとキャフェとホテルとがあって、人道には小舎がけの見世物と玉転がしや鉄砲やの屋台店が立ちならんでいる。そしてそれが五町も六町も七町も八町も続いているのだ。
 黒ん坊の野蛮人が戦争している看板があげてあって、その下に、からだじゅう真黒に塗った男や女や子供が真っ裸と言ってもいいような恰好をして、キイキイキャアキャア呼びながら槍だの刀だのを振り廻して見せている。その隣りは、「生きた人蜘蛛」という題で、顔だけが人間であとは蜘蛛の大きな絵看板がかかげてある。そしてその次には、玉転がし、文《ぶん》廻し、鉄砲、くじ引き、瓶釣り、その他あらゆるあてもの[#「あてもの」に傍点]の店がならんでいる。普通にものを買える店は一つもないのだ。そしてさらにまたその次には、ぐるぐる廻る大きな台の上に、玩弄品《おも
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