「うよりもむしろ、大部分は判事と弁護士との懇談のようなものだった。
警視庁からの罪名書きには、暴力で警官に抵抗したという官吏抗拒罪や、秩序紊乱罪や、旅券規則違反罪や、浮浪罪などといういろんな出たらめが並べてあったが、予審判事はその中の旅券規則違反についてのことだけしか尋ねなかった。そうする方が一番面倒もなかったのだろう。
そしてどこからどう聞いて来たか、あなたのお父さんは陸軍大佐だったそうですね、といったようなことを大ぶ丁寧に聞いた。実は少佐なのだが、せっかくそんなに大佐をありがたがっているものならそう思わして置けと思って、僕もそうですとすまして答えた。その他にも、もと相当な社会主義者で東洋方面の社会運動に詳しい、そして今は保守党の『レクレエル』という日刊新聞の主筆になっている何とかいう男が、僕のことを大ぶえらい学者ででもあるかのようにその新聞で書き立てたそうなので、判事も大ぶ敬意を払っていたのだそうだ。
最初弁護士の話では、裁判所側はリヨンの方やその他いろんな方面を取調べなければならんので、公判までにはまだ一、二カ月かかるだろうということだったが、予審の日に弁護士が保釈を請求して、いろいろ判事と懇談の末、保釈は却下されることとなってその代りすぐ公判を開くことに話がついた。
公判は、予審の調べから一週間目の、五月二十三日に開かれた。
十四、五人の被告がボックスの中に待っている間に、傍聴人がぞろぞろと詰めかけて、やがてリンの響きとともに、よぼよぼのお爺さん判事が三人とそのあとへ検事とがはいって来た。
裁判官等のうしろの壁には、正義の女神の立像が、白く浮きぼりに立っていた。
裁判長はすぐそばにいる僕等にすらもよく聞きとれないような、歯なしのせいのただ口をもぐもぐするような口調ですぐ裁判を始めた。
「お前はいつ幾日どことかで何とかしたな。……よろしい。それでは……」
とちょっと検事の方を向いて、そのうなずくのを見ると、こんどは両方の判事に何か一こと二こと言って、
「それでは、禁錮幾カ月、罰金いくら。その次は何の誰……」
というような調子で、一瀉千里の勢いで即決して行く。
僕の番は六、七人目に来たが、やはりそれと同じことだった。
「お前はいつ幾日か、にせの旅券とにせの名前でフランスにはいったに相違ないな。」
「そうです。」
「それについて別に何か言うことはないか。」
「何にもありません。」
「それじゃその事実を全部認めるんだな。」
「そうです。」
それで問答はおしまいだ。検事は何も言うことがないと見えて、黙って裁判長にうなずいた。
そして弁護士が二十分ばかりそのお得意の雄弁をふるったあとで、
「よろしい。禁錮三週間。罰金いくらいくら。次は何の誰……」
裁判長がそう判決を言い渡すと、僕等のうしろに立っていた巡査の一人が、さあ行こうと言って一緒にそとへ連れて出た。
フランスでは、未決拘留の日数は三日間をのぞいたあとをすべて通算する。で、僕はその日に満期となって、翌日は放免の訳だ。
あっけのないことおびただしい。
裁判所の下の仮監では、この日同じ法廷で裁判される四、五人の男と一緒にいた。
裁判の始まるのを待つ間、みんなガヤガヤと自分の事件についての話をしあっていた。実はこうこうなんだが、そこをこう言ってうまく逃げてやろうと思うんだとか。いや、実につまらん目にあいましてな、こうこう言うつもりのがついこんなことになってしまいましてとか。なあに、そんなことなら何でもない、せいぜい三月か四月だとか。話は日本の裁判所の仮監のとちっとも違いはない。そしてその大がいは、何百フランとか何千フランとかをどうとかしたという、金の話ばかりだ。それも、ちょっとした詐偽だとか、費いこみだとかの、ちっとも面白くない話ばかりだ。
で、僕は黙って、薄暗い室の中の壁の落書を、一人で調べていた。
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A bas l'avocat officiel !(くたばっちゃい官選弁護士の野郎)
[#ここで字下げ終わり]
というのが二つ三つある。その他は牢やの監房で見たのと同じようなことばかりだ。女房の誰とかを恋するとか、生命にかけてブルタニュ女の誰とかを崇めるとかいうのも、幾つも書いてあったが、その女房かブルタニュ女かの肖像をなかなかうまく描いているのもあった。変な猥※[#「褻」の「熱−れんが」に代えて「執」、113−3]な絵もあった。
そんなのを一々詳細に読んで行く間に、
「おい、君は何だ、泥棒か。」
と、僕の肩を叩く奴がある。さっきからしきりに、みんなに、君は幾カ月、君は幾カ月と刑の宣告をしている、前科幾犯面の奴だ。
「あ、まあそんなものだね。」
といい加減にあしらってやると、
「そうか、何を盗んだんだ。君は安南人
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