んだ金を弁護士に払って、それで無罪になって、また新たに弁護士に払うための新しい金もうけの仕事にとりかかるようなことができそうだ。
差入れの食事もとれず、煙草も買えず、読む本もなし、となってからは、毎日ただベッド[#「ベッド」は底本では「ベツド」]の上で寝てくらした。よくもこんなに寝れるものだと思ったくらいによく寝た。
真っぴる中寝床の中へなぞはいっていては悪いんじゃないかしらとも思ったが、叱られたら叱られたその時のことと思って、図々しく寝ていた。
が、日本の牢やとは違って、看守は滅多にのぞきに来なかった。朝起きるとすぐ、それも何の相図も号令もないのだが、看守が戸を開けて、中のごみを掃き出させる。それが一と廻り済むと、運動場へ連れて出た。それからは前に言った三度の食事にたべ物を窓口まで持って来るほかには、ほとんど誰もやって来ない。日本のようには、朝晩のいわゆる点検もない。ただ、夕方一度、昼の看守と交代になる夜の看守がちょっと室の中をのぞきに来るぐらいのものだ。
看守されているんだというような気持はちっともしない。本当に一人きりの、何の邪魔するものもない、静かな生活だ。
しかし、そうそう寝てばかりいれるものでもない。時々は起きて、室の中をぶらぶらもする。その時の僕の呑気な空想を助けたものは、四方の壁のあちこちに書き散らしてある落書だった。
大がいはみな同じ形式のもので、
[#ここから2字下げ]
〔Rene' de Montmartre〕(モンマルトルのルネ)
〔tombe' pour vol〕(窃盗のために捕まる)
1916(一九一六年)
[#ここで字下げ終わり]
とあるようなのが普通で、そのルネという名がマルセルとなったり、モオリスとなったりして、そしてそのモンマルトルというパリの地名は多くはそれかあるいはモンパルナスだった。そこは、ちょうど本所とか浅草とかいうように、そういう種類の人間の巣窟なのだろう。
また、その名前の下に、
[#ここから2字下げ]
dit l'Italien(通り名、イタリア人)
dit Bonjours aux amis(通り名、友達によろしく)
[#ここで字下げ終わり]
というようなあだ名がついていた。このあとのは殺人犯だったが、まだ同じ殺人犯の男で、「鉄腕」というあだ名があったり、その他いろんなのがあったが、今はもう忘れてしまった。
その他にもまだ、
[#ここから2字下げ]
〔Encore 255 jours a` taire.〕(まだ二百五十五日だんまりでいなくちゃならない)
〔Vive de'cembre 1923.〕(一九二三年十二月万歳)
[#ここで字下げ終わり]
といったように、放免の日を待ち数えたのや、また、
[#ここから2字下げ]
Ah ! 7 ! Perdu !(ああ、七だ、おしまいだ!)
[#ここで字下げ終わり]
と書いて、そのそばに四の目の出た骰子と三の目の出た骰子と二つ描いてあるのもあった。何か不吉の数なのだろう。
それから、これは日本なぞではちょっと見られないものだろうが、
[#ここから2字下げ]
Riri de Barbes(バルブのリリ[#「バルブのリリ」は底本では「何とかのようなやくざものの」])
Fat comme poisse(何とかのようなやくざものの[#「何とかのようなやくざものの」は底本では「バルブのリリ」])
Aime sa femme(その妻)
dit Jeanne.(ジャンを愛する)
[#ここで字下げ終わり]
というのや、また、
[#ここから2字下げ]
Emile(エミル)
Adore sa femme(命にかけて)
pour la Vie.(その妻を恋いあこがれる)
[#ここで字下げ終わり]
という熱心なのもあった。
[#ここから2字下げ]
Ce qui mange doit produire(食うものは生産せざるべからず)
Vive le soviet.(ソヴィエト万歳)
[#ここで字下げ終わり]
とあって、その下にわざわざボルシェヴィキと書いてあるのもあった。
僕も一つ面白半分に、
[#ここから2字下げ]
E. Osugi.(エイ、オスギ)
Anarchiste japonais(日本無政府主義者)
〔Arre^te' a` S. Denis〕(セン・ドニにて捕わる)
Le 1 Mai 1923.(一九二三年五月一日)
[#ここで字下げ終わり]
と、ペン先きで深く壁にほりこんで、その中へインクをつめてやった。
予審へは一度呼び出された。
まだ弁護士の来ない間に訊問を始めようとしたので、さっそく例の手で両肩をあげて見せた。判事はあわてて書記に命じて弁護士を探しにやった。
取調べは実に簡単なものだった。と
前へ
次へ
全40ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
大杉 栄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング