さや長さを人類学的に調べた。そして指を延ばした手と前腕との長さまでも計った。写真も、横向きになって椅子に坐るとその椅子が自然に廻転して、正面に向くまでの間の全瞬間を活動的にとる仕掛になっていた。
 それが済むと、また別な建物の予審廷へちょっと行って、判事のごく簡単な取調べのあとで、またもとの建物の下の監房へ連れて行かれた。持物はみんな取りあげられたが、ただ煙草とマッチだけは持たしてくれた。
 僕はこの二つのことに感心しながら、すぐベッドの上に横になって煙草をふかしているうちにいつの間にか眠ってしまった。
 大ぶ疲れてもいたんだろうが、警察や警視庁の留置場へぶちこまれた時にはすぐ横になって寝てしまうのが、僕の長年の習慣になっていたのだ。

    五

 その翌日、すなわち三日の朝には、十五、六人の仲間? と一緒に、大きな囚人馬車二台でラ・サンテ監獄に送られた。
 ラ・サンテ監獄は、未決監であるとともに、また有名な政治監なのだ。僕がまだ途中の船の中にいた頃に、どこでだったか忘れたが、フランスからの無線電信で、首領カシエンを始め十幾名の共産党員がそこにおし籠められたことを知った。それもまだいる筈だった。また、僕がフランスに来てからも、その以前からいる幾名かとともに、十数名の無政府主義者がそこにはいっていた。

 煙草とマッチとはやはりまた持ってはいらした。そして日本だと、星形の建物のまん中のいわゆる六道の辻から布団をかつがして行くのだが、ここではいずれも薄ぎたない寝まきのシャツらしいのと手拭らしいのとを持たして行く。
 僕は監獄のひやかしのような気になって、広い廊下の右や左をうろうろ眺めながら、看守をあとにして歩いて行った。
 僕の室は第十監第二十房という地並みの大きな独房だった。二間四方だから、ちょうど、八畳敷だ。それに窓が大きくて明るい。下の幅が五尺ぐらいで、それが三尺ぐらい上までそのままで進んで、その上がさらに二尺ぐらい半円形に高くなっている。
 こんな大きな窓は、僕が今まで見たあちこちのホテルでも、一流の家のほかは滅多になかった。もっとも、惜しいことには、それがようやく目の高さぐらいの上の方から始まってはいたが。
 その後運動の時に知ったんだが、こんな窓は地並みの室だけで、二階三階四階の室々のはその半分より少し大きなくらいだった。
 窓からはすぐそばに高い塀が見
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