こへ行けと言う。そしてまた、その密偵局では、二、三日中に通知を出すから、そしたら改めて出頭しろと言う。うんざりはしたが、仕方がないから、帰ってその通知を待つことにした。
 二、三日待ったが来ない。四日目にとうとうしびれを切らして行って見ると、きょう通知を出して置いたから、あしたそれを持って来いと言う。
 そのあしたは密偵局でいろいろと取調べられた。旅券や身元証明書は願書と一緒にさし出してあるんだが、それを見ればすぐ分ることを始め、フランスに来てからの行動や、ドイツ行きの目的や、その他根ほり葉ほり尋ねられた。大がいのことはいい加減に辻褄の合うように返事していれば済むんだが、一番困ったのは身元証明書の中に書き入れてあることの調べだ。親爺の名とか母の名とかその生年月日とかは、国での二人の保証人のそれと同じように、みなまったく出たらめのものだった。その出たらめを一々ちゃんと覚えているのは容易なことじゃない。が、それもまず難なく済んだ。
 ただ済まないのは、目的の許可証がいつ貰えるかだ。その日には、あさってと言われたので、あさって行って見ると、またあさって来いと言う。こんどこそはと思って、そのあさって行って見ると、こんどはあしただと言う。そしてそのあしたがまたあさってになり、そのまたあしたになりあさってになりして一向らちがあかない。
 その間に僕の宿の主人も三、四度調べられた。そして一晩そこに泊ったSのことも、いろんな方面から取調べているようだった。
 僕はだんだん不安になりだした。そしていっそのことそんな合法の手続きはいっさいうっちゃって、パリで会ったロシアの同志のようにそっと国境を脱け出ようかと思った。この合法か非合法かの問題は、僕がフランスに来た最初から、僕とリヨンの同志との間に闘わされた議論だった。そんな七面倒臭いカルト・ディダンティテなどは貰わずに、勝手に駈け廻る方がよくはあるまいか、というのが僕の最初からの主張だった。が、もし何かの間違いがあれば、当然その責任は僕の世話をしてくれたそれらの人達の上にも及ぶのだからと思うと、僕はいつもその人達の合法論にふしょうぶしょうながら従うほかはなかった。こんどもまたそうだ。
 そして僕は、こうしてほとんど毎日のように警察本部に日参しながら、不安と不愉快との一カ月半ばかりを暮した。

    三

 実際いやになっちゃった。
 
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