x那人でそんな馬鹿な名をつける奴はないからね。」
この友人は、近く広東へ乗込む孫逸仙一行の先発隊として、あしたの朝上海を出発するのだった。したがって、もしその晩会えなければ、しばらくまた会う機会がないのだった。
「新政府の基礎ができたら、ぜひ広東へ遊びに来たまえ。陳烱明は何にも分らないただの軍人なのだが、社会問題には大ぶ興味を持っているし、僕等も向うへ行けばすぐ、支那や外国の資本家を圧迫する一方法としてだけでも、大いに労働運動を興して見るつもりなんだ。」
今は立派な政治家になっているが、昔は熱心な労働運動者だった彼は、こうしてその新政治の必要の上からの労働運動を主張していたのだった。そして実際また、その頃すでにもう、陳烱明の保護の下に無政府主義者等が盛んに労働組合を起して、広東が支那の労働運動の中心になろうとしていたのだ。その後、香港で起った船員や仲仕の大罷工には、これらの無政府主義者がその背後にいたのだった。
上海で無政府主義者の誰とも会うことのできなかった僕は、広東のそれらの無政府主義者と会いたいと思った。そしてこの支那の新政治家とは、近いうちにまた広東で会う約束をして分れた。
が、こんどは、例の共産党の先生等のペラペラのお蔭で、これらのおなじみのホテルへは行けなかった。近藤栄蔵が捕まって以来、日本政府の上海警戒が急に厳重になったのだ。そして僕等が前に泊ったホテルにはどんな方法が講じてあるかも知れなかったのだ。
で、僕はまず、支那の同志Bの家へ行った。まだ会ったことのない同志だ。しかしその夏、やはり支那の同志のWがひそかに東京に来て、お互いの連絡は十分についていたのだ。そして僕がこんどこの上海に寄ったのは、ベルリンの大会で(九字削除)が組織されるのと同時に、僕等にとってはそれよりももっと必要な(八字削除)の組織を謀ろうと思ったからでもあった。
折悪くBはいなかった。そしてその留守の誰も、支那語のほかは話もできず、また筆談もできそうになかった。僕は少々途方にくれた。ほかへ行くにも前に知っている支那人や朝鮮人は今はみなロシアに行ってしまった筈だ。新政治家の友人も、その後陳烱明の謀叛のために広東を落ちて、たぶん今は上海にいるんだろうとは思ったが、どこにいるんだか分らなかった。こんなことなら、あらかじめBに僕の来ることを知らして置くんだった、とも思った。が
前へ
次へ
全80ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
大杉 栄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング